副・一流になるための真のヴォイストレーニング

会報の未掲載記事や他の雑誌などの掲載記事の記録 編集部編

ポピュラーヴォーカルのための自主レッスンカリキュラム(2)

ポップスの歌の上達、オリジナリティやプロの歌唱の

メリハリのつけ方や音楽性を補完するのには、

聞き込み、歌い込むことからです。

ここでの曲のリストやコメントを参考に、音源を集めましょう。

検索して購入や視聴するとよいでしょう。

 

何曲でもよいので、時間のあるときに聞いておきましょう。

そうして基礎の力を磨いてください。

 

できたら1コーラスずつ、歌っておくとよいです。

自分のテンポ、キーを考えて、歌にしていくことです。

 

 

ーー

課題曲リストについて

 

a .毎月の基本課題曲 1201〜1312

およそ4ジャンルで4曲ずつ、これに自由曲4曲加えてください。月に20曲で2年で480曲となります。使い方は、自由です。

できたら、そのうち、月5曲はレパートリーにしましょう。

 

 

b.カンツォーネ同曲異唱サンプル 0909〜0912  1〜4ヶ月

その後は、6201〜6208カンツォーネ日伊比較2曲ずつ計110曲 5〜12ヶ月

基本課題曲のなかのカンツォーネナンバーと合わせて、お使いください。

 

 

c.英語曲 1101〜1112   1〜12ヶ月

13〜24ヶ月は、後日、整えます。

ナポリターナ、シャンソン、エスニック、日本の歌からの選択です。

 

 

ーー

No.2

a.1202課題曲2

1.カーザ・ビアンカ/オルネラ・ヴァノーニ
2.チャオチャオ・バンビーナ/
3.ロマンティカ/トニー・ダララ
4.花咲く丘に涙して/ウィルマ・ゴイク
5.セ・シ・ボン/Various Artist
6.サン・トワ・マミー/Various Artist
7.人の気も知らないで/アミア
8.ベサメ・ムーチョ/ロス・パンチョス
9.フライ・ミー・トゥ・ダ・ムーン/ナンシー・ウィルソン
10.オネスティ/ビリー・ジョエル
11.ジョニー・ギター/ペギー・リー
12.アローン/ハート
13.夕焼け小焼け/美輪明宏
14.昴/谷村新司
15.シルエット・ロマンス/大橋純子
16.舟唄/八代亜紀

 

b.3ヶ月ごとのため、なし

 

c.1102「Love Me Tender

1.エルビス・プレスリー

2.ナット・キング・コール

3.フランク・シナトラ

4.BBキング

5.ジェームス・ブラウン

6.ノラ・ジョーンズ

7.パーシー・スレッヂ

8.ミーナ

9.上田正樹

 

 

ーー

関連ブログ(曲名で検索して、参考にしてください)

 

⬜︎レッスン録「一流になるための真のヴォイストレーニング」

https://vccarchive.hateblo.jp/

 

⬜︎歌詞、歌い方のアドバイスなど

「副・一流になるための真のヴォイストレーニング」

https://uravccarchive.hateblo.jp/

 

⬜︎学び方など

「ヴォーカルの耳づくりと歌唱の学び方」

カテゴリー1.歌唱力をつける耳と歌づくり(複数トレーナーの同曲アドバイス

カテゴリー5.スタンダード曲 同曲異唱での学び方[同曲異見]

カテゴリー6.カンツォーネの歌い方

https://bvlibrary.hateblo.jp/

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

by  ブレスヴォイストレーニング研究所

ポピュラーヴォーカルのための自主レッスンカリキュラム(1)

ポップスの歌の上達、オリジナリティやプロの歌唱の

メリハリのつけ方や音楽性を補完するのには、

聞き込み、歌い込むことからです。

ここでの曲のリストやコメントを参考に、音源を集めましょう。

検索して購入や視聴するとよいでしょう。

 

何曲でもよいので、時間のあるときに聞いておきましょう。

そうして基礎の力を磨いてください。

 

できたら1コーラスずつ、歌っておくとよいです。

自分のテンポ、キーを考えて、歌にしていくことです。

 

 

ーー

課題曲リストについて

 

a .毎月の基本課題曲 1201〜1312

およそ4ジャンルで4曲ずつ、これに自由曲4曲加えてください。月に20曲で2年で480曲となります。使い方は、自由です。

できたら、そのうち、月5曲はレパートリーにしましょう。

 

 

b.カンツォーネ同曲異唱サンプル 0909〜0912  1〜4ヶ月

その後は、6201〜6208カンツォーネ日伊比較2曲ずつ計110曲 5〜12ヶ月

基本課題曲のなかのカンツォーネナンバーと合わせて、お使いください。

 

 

c.英語曲 1101〜1112   1〜12ヶ月

13〜24ヶ月は、後日、整えます。

ナポリターナ、シャンソン、エスニック、日本の歌からの選択です。

 

 

ーー

No.1

a.1201課題曲1
1.ケ・サラ/リッキ・エ・ポーヴェリ
2.コメ・プリマ/トニー・ダララ
3.ラ・ノヴィア/トニー・ダララ
4.アモーレ・モナムール・マイラブ/クラウディオ・ビルラ
5.ドミノ/リュシエンヌ・ドリール
6.愛しかないとき/ジャック・ブレル
7.愛の賛歌/エディット・ピアフ
8.アルフォンシーナと海/メルセデス・ソーサ
9.バードランドの子守唄/サラ・ヴォーン
10.キャバレー/ライザ・ミネリ
11.デスペラード ならず者/イーグルス
12.ムーン・リバー/アンディ・ウィリアムス
13.赤とんぼ/フランク永井
14.真っ赤な太陽/美空ひばり
15.飾りじゃないのよ涙は/井上陽水
16.ラブ・イズ・オーバー/欧陽菲菲

 

b.0910「ケ・サラCHE SARA'」Ca-1(1~16)

1.リッキ・エ・ポーヴェリ

2.ホセ・フェリシアーノ

3.パオロ・メンゴリ

4.パトリツィオ・ブアンネ

5.パルティチェッレ

6.岸洋子

7.村上進

8.木村充揮

9.Shake A Hand/ホセ・フェリシアーノ

10.Was wird sein(ドイツ)/アドリアン・ウォルフ

11.Toivotaan,toivotaan(フィンランド)/Johnny Liebkind

12.Toivotaan,toivotaan(フィンランド)/Pentti Hietanen

13.Que Sera(スペイン)/ディエゴ・トーレス

14.Qui saura(フランス)/シルヴィ・ヴァンタン

15.Qui saura(フランス)/ノーム

16.Qui saura(フランス)/マイク・ブラント

 

c.1102「What A Wonderful World」

1.ルイ・アームストロング

2.ルイ・アームストロング Spoken Version 1970

3.ルイ・アームストロング ライヴ

4.ロッド・スチュワート ライヴ

5.セリーヌ・ディオン ライヴ

6.セリーヌ・ディオン

7.アンワー アメリカンアイドル

8.マリア・ジョア

9.エヴァ・キャサディー

10.デヴィン・ヴェレズ アメリカンアイドル

11.エッマ・パスク&リリック・マックファーランド The Voiceより

12.ジェシー・キャンベル

13.クリス・トーマス

14.パット・ビルン The Voiceより

15.綾戸智恵ケイコ・リー ライヴ1999

16.綾戸智恵

17.ケイコ・リー

18.平井堅

19.本田美奈子

20.上田正樹

 

 

ーー

関連ブログ(曲名で検索して、参考にしてください)

 

⬜︎レッスン録「一流になるための真のヴォイストレーニング」

https://vccarchive.hateblo.jp/

 

⬜︎歌詞、歌い方のアドバイスなど

「副・一流になるための真のヴォイストレーニング」

https://uravccarchive.hateblo.jp/

 

⬜︎学び方など

「ヴォーカルの耳づくりと歌唱の学び方」

カテゴリー1.歌唱力をつける耳と歌づくり(複数トレーナーの同曲アドバイス

カテゴリー5.スタンダード曲 同曲異唱での学び方[同曲異見]

カテゴリー6.カンツォーネの歌い方

https://bvlibrary.hateblo.jp/

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

by  ブレスヴォイストレーニング研究所

課題曲レッスン  シャンソンほか 26909字

課題曲レッスン シャンソン

シャンソンレッスンアドバイス

 

AIでのレッスンリライトなので、わかりにくいと思いますが、

それぞれの曲の歌い方よりも、

歌へのアプローチのヒントとして、

参考にしてください。

 

 

 

 

 

 

 

ーー

 

「私の孤独」

 

音色が出たところでバランスがとれていたのは10、20、32行目、Avecだけ。全体には結びついていたりいなかったり。音楽的に処理しなければいけない曲だから、声があったりすると逆に歌が難かったりする人が多い。テイストでもう少し音楽的に処理できたのでは。

2番19行目Non、20行目Avecはいいです。最後のBの繰り返しの音色とかバランスがこの曲であればベスト。31、32行目のように頭から歌えたら問題はなかったです。

体と息が見えるのですが、声が乗っかっていない、2曲目は体と息が引っ込んでいる分、張り上げて歌う曲ではないし、ムスタキも淡々と歌っている。

体と声のある人はかえって難しいけど、それが抜けたところが31、32行目。マイクを使って歌うということだと、そのバランスで仕上げていけばよい。全曲それで仕上げるのは難しいですが。

「長い間一人で」下げて。「けれどいつの間にか」歌い上げないで言葉で言ったところで。「間にか」外れている。均等なのでメリハリつけていい。ポジション押さえられているのでメリハリの問題。そこで掠れないように。

「けれどいつの」動き出してきています。

練習としてはそうやって一行一行フレーズを確認してから、最終的にはそのフレーズは、音高のために使えないことはあっても、何かニュアンスが残るような形にしましょう。

間合いとか表現、自分なりに考えてみて、ここは、その人の体によって呼吸の強さとか感情の込め方によって全然変わってくるところです。

それで伝えたなと思うところを拾って、それで全部歌ってみても一つ二つしか出てこないでしょう。それが三つも四つも出てきたら大したもの、そういう勝負です。

 

ピアノでもトランペットでも正しく弾いた、正しく吹いた、でも自分の出したい音は何なのか、表現したいのは何か、それを見つけてきてなんとか詰め込んでいくのです。

プロは口先でつくってしまう、つくって働きかけるやり方を知っているから、でもそのやり方が見えてしまうと退屈でワンパターンに聞こえます。

お客さんはそんなことを考えてないから、ちょっと変わった音色とか癖のつけ方などがよかったりするかもしれません。そこはポップスの場合、お客さんとの絡みなのです。

そのことで喉の状態が悪くなったり浅くなったり、楽器の使い方がいい加減になったりすることがないようにしましょう。とはいえ、それが正解ではないです。

 

 

ーー

 

愛の讃歌

 

「生きていたいの」、「え」の位置が浅い。「命の」、「ち」何かまだ引いています。歌いやすいところ、声楽的なものも入れて。「限りに」、「に」のひびきが外れています。潰しています。

気になったのは、抜けるところ、フォーク的な歌い方で喉に圧力がかかっています。それでよくなるならいいのですが、喉の状態が最後に悪くなっている。

ポップスはそこで歌っている人の方も多いです。

「かぎ」は動けるけど「りに」は動けない、浅くなっています。「ぎ」「り」より「に」の方が鼻に抜けるので本当は楽でしょう。「に」が「か」と同じくらい開いている方がいい。それが喉が開いている状態、本当はそれ以上喉は締めない方がよいです。そうすると唱歌っぽくなってしまいます。ポップスでは嫌う人もいるから、ステージ的には何とも言えないのですが、その状態で歌い続けていると流れていって、声も使い難くなったり言葉も言い難くなったりしていきます。ですから、最終的にそこで歌えるようにしていくかもしれないとはいえ、それをやるなら、こういうヴォイストレーニングで喉を開けることをやっておくことです。疲れたりハスキーになったり音を失うこともあるのです。

「帰ってほしいの」の方がつくった声のようでした。

 

 

ーー

 

ラ・ボエーム

 

前半のつながりは、フランス語でないとよくわからないこともあります。

Bサビの入り方はよかった、13行目の入り方はよいです。15行目は入り方がよくなかったがその後収めています。13~16行目はマイクを通せば問題ないです。それから比べると61行目からの終わり方は乱れています。

最後の最後は違うバージョンでなんとかうまく締めた感じです。あいだを飛ばさなければうまくいったのか逆にもっと乱れたかはわからないが、13~16行目の音色、または12行目の最後あたりの音色をとってきて統一できればよいです。あとはリズムの感覚のところはフランス人でないと言えないところがあります。

日本語の深いポジションなどの勉強、あとは畳み掛け、Aの展開をメロディーにしていくところ。日本語の場合、シャンソンは言葉から入るにはカンツォーネよりも使いやすい場合があります。

カンツォーネはイタリア語の方がよほど楽なのです。シャンソンをフランス語で歌うのは大変です。そこで、日本でも日本語をつけて歌う方がメインになりました。

 

声を聞かせるよりは詩を聞かせる方がひじょうに多いです。長い詩が多い。日本語で、変な癖をつけない。「開く」が押さえられていません。起承転結、

「モンマルトルのアパルトマンの」までのものを「窓へんに開く」でピーク「リラの花よ」で押さえる、その流れを崩さず「愛の部屋で」、そこまでのフレーズをつくります。

「開く」が発声が開いています。「リラの花よ」までで。「に開く」を押さえられていない、ここにピークをもってくる意識を出だしから。「開く」で強調することで、そのあいだに「リラの花」を入れると次の「愛の部屋で」が1に戻ります。

このあたりを1~12行目がそれぞれわけて歌っていると全部バサバサになっていきます。

大体「アパルトマン」くらいで浮いてきます。押していくというかドスを効かすとか迫力とか、重みを加えていった方がこの手のものは進行させやすいのです。

 

歌ってしまってはだめ、歌わされてもだめです。皆12行目までで歌ってしまってサビの「ラ・ボエーム」からはとってつけたようになってしまう、ここを歌うために12行目までのストーリーをつながなければいけません。その先、「君をモデルに」がピークです。

普通は4、8、12行目がピーク、あるいは3、7、11行目。それがずれ込んで捉えてもいいし、6、12行目でもいい。4~5行目がピーク、9~10行目でそれを大きくして、11~12行目で「ラ・ボエーム」につなげるところ、それを9、10、11、12、全部歌い上げてしまうと大変です。

そういう歌い方をしている人もいるが。1~10行目、惜しいところある、分散しているから仕上げたいならどこかに集中してそこを細かくしてあとは捨てていくか。

 

全部歌える人は本当に少ない、大体の人は取捨選択しなければいけない、アマチュアほど取捨選択できず全部歌ってしまってだめになる、それはプロの全部歌えるのとは全然違い、単につなげるだけです。4~5、9~10、両方活かせないならどちらか捨ててよいです。人によって違います。1~12行目までで。呼吸の問題、発声の強さ、声の強さ、そういう問題になってくるので、今すぐにはどうしようもないけど、解決策としてはもっと詰めていくことでしょう。

ゆっくりするほど難しくなるから1~2をもっと早く言い切ってしまってそこで見せていかない、開いていかないことです。6~8もそれを一行くらいで言い切ります。それぞれ展開していくと大変な体力が必要です。テンポ上げて緊張感高めることです。

 

「僕」がすっぽ抜けています。「僕はいつも絵を描いてた愛しい人君をモデルに」言わされています。自分で押さえ込んで動かせていない、負けています。前半はもっていけているので分けて練習します。「僕はいつも」から。前半の方が大きい、体を使っています。後半の方を使わないと。「君をモデルに愛し合った君と僕の」が同じくらいの力で「二十歳の頃」に余力がきてしまっています。9~12までだけで。「愛し合った」の「あ」と「君と僕の」の「き」が入り切っていません。「頃」になったら若干乱れても全然構いませんが、「愛し合った」は合わせたい、「「愛し合った」だけ。そこでもっと強く。1フレーズでもピタッと収まったときはその前のフレーズも聞こえてくるしその後も道が描かれます。

 

全部歌わなければいけないのは何も入れていないからです。イメージが入っていたら、そこしかいくところがないというところが見えてくる、そこに乗せていったらピーク、山場にさえきちんと体と感情を入れていったら後は歌わなくても流れてきます。そこを変に歌ってしまうから歌を歪めてしまうのです。

「リラの花よ」ができているから「窓へんに開く」も「愛の部屋で」も落ち着くところに落ち着いています。特に後ろ。うまい人ほど1フレーズ歌うと後の3フレーズくらい、結局4つの一つのブロックが歌わなくても、そこで黙っちゃっても成り立つくらいのことを表現しています。それを一行、一行、ぬるくしていけばいくほど、ドロドロダラダラ。同じフレーズを繰り返していいのだけれど、言葉も同じにしてもいいのだけれど、その変化の部分を音楽性としてもつでしょう。

 

言葉としてもつのは役者。役者はこういうのをうまく歌う、でも役者の場合は音楽的ルールを押さえていないのです。映像のように表現するが、1番で表現したものが2番でストーリーが変わると全然違う表現をしてしまいます。それは音楽ではないのです。

同じメロディーやフレーズ、切り込みがあるところにまた重ねた快感が来なくては。いくら長く聞いてもいい。役者の場合は1回歌い切ってよかったけど2回目はもう少し忘れた頃に聞きたい、勝負するところが違います。

 

ラ・ボエーム」が繰り返される度に聞く人がどんどん好きに気持ちよくならなければいけないのに、大抵は、ああまたか、と飽きてくるのです。言葉の違いしかなければ2回目に歌うときにはもうわかっているから聞くところがないです。

表現するのに3年5年、1年毎に歌ってみて出てくればいいが、その頃には皆体とか息を使わなくなってしまう、そこが困ります。慣れてくるとそのルールで案外もつし、周りもその方がよくなってしまいます。

 

 

ーー

 

「甘いささやき」

 

抑えた入り方で語るような始まりは構いませんが、どこかでピークをつくっていかないと、流れてしまいます。あるいは、その予感を出していかないと、どこかで歌になるという伏線、その引き方のよし悪しが問われます。6、7行目くらいでもう少し何か見せていかないと、8に入れない、そこから11くらいまでの流れです。

パローレの3行目の3つ目の最後のレ、強過ぎるというより微妙なピッチの違い、流れができていないときは同じピッチでも心地よく聞こえないです。

2番に入って最初の3行は1番よりはよい、21は1番と同じような感じ、22、23は稼ぎどころなのに普通、24の切り出しは1番よりはよいです。25、26も、27から28にかけてはもったいない、29に入る前はブレスの切り替えが見えなければいけない、

31最後から雑というかコントロールできなくなっています。34、35の頭はよくない、37、38も、パローレがこれだけ繰り返されるので音楽的な処理をしていくことでしょう。

 

ーー

 

ミラボー橋」

 

抑えた感じで出ているのは、それほど問題ないでしょう。5、6の置き方はよくない、日本語ではもっとだめ、4から5、6の構成がわからない、11、12もそれに近いがまだよいです。16から17、18は見えてくる、23、24はよかった。

声域やキーの問題ならしかたないけど4番でできているから、それを頭からやれば、構成力よりテンションもあるだろうけど処理の問題です。できるのにやっていない。

歌は1番が流れがつくり難い、特にアカペラは自分で流れをつくらなければいけないので一旦乗るまでは難しいです。

構成はフランス語で見る、日本語は日本人が聞くように歌詞で聞いたが、言葉は聞こえるが「セーヌ」の「ヌ」、「悩みに続いて来たの」ぐちゃぐちゃ、「波打ち渦巻き音無く流れる」まあまあ、「歩みの遅さよ激しい希望よ」はよい、「月日は流れる私は… とどまる」はよい、

同じ人が歌ったと思えないほど同じフレーズなのに変わったでしょう。

それはフランス語と同じように言葉のせいではなく流れのつくり方です。後半は流れがよかったので言葉だけ言えば「セーヌ」と同じく「滅びるもの」、「水のように」の「ように」、「物憂い」の「憂い」、「人の世の」の「の」、「歩みの」の「み」、「のぞみよ」の「みよ」、発音が間違っているとかはっきりしてないとこではないのです。

プロのシャンソン歌手はそういうところは、演歌歌手と同じですごくきちんと言うので、比べるとよいでしょう。そういう人たちが審査員のときの判断基準には上がってこないものが本来なら大切です。

「寄りかかると」「蘇るよ」「鳴り響け」もっと稼げそうです。

「月日は」の「日は」はちょっと、でも最後のフレーズは、よいです。

 

 

ーー

 

「ドミノ」

 

感覚的には3、15はよかった、しかしそれを受けている4はどうか、16はだめ。同じBでも1番の5、6は踏み込んでいて7、8は浮いています。

落ち着いてはいないけどそういう構成かと思うと、2番は全くそういう構成はとれていない、

何かやるならやって変えるなら変えたと見せないといけないところ、判断つかないのはそういう意味ではよくないです。

B'9、10に対して11、12効果がないから結局BとかB'は構成できておらず、2番はそれを確認させるような感じ、27決まればいいが流れています。29、30、こういうところの感情の込め方、フレーズのつくり方はもっと工夫しないと。日本語、1よい、2もよい、すごく厳しく言うと「悩ます」の「す」、「悪魔」の「ま」物足りないが、3「知りながら」は「がら」の処理もう少し何かできそう、

「なぜになぜに」一つ目はいいけどもう少し言葉とメロディーのよいところをついて言い表せる可能性があるのにもったいない、「君の瞳」からかすれる、ど真ん中から逸れてきて、「春の日ほがらに」流れをとって雑さが見える、「されど君が浮気心あすは人に移りゆきて」何かやろうとしてたところのつくりかけのようで物足りない、

 25「ドミノドミノ」戻せたが26「ドミノドミノ」の乗り方は甘い、「泣いたとて」の「て」引っ掛かる、「のがれられぬ二人の運命ドミノ」はよい、最後の「ドミノドミノ」空回りしています。全体を引き受けてこれで決めた感じがしないでしょう。

それで70点くらいの線は引っ張っているし流れもできているのだから、その流れの波みたいなものをより強く強調し引き上げるでも踏み込むでも、その流れをとって次に行けば歌う方も楽になる、まだふかすところでふかしていない、場所もわかっているけど踏み込みが弱くメリハリが効かないです。

歌壊れてもいいので無理に効かせてみて。「ドミノ」が強く「わが思い知りながら」の強さがないです。1234なら、皆1は意識するがその前、1は4から入るので、4からノンブレスで1にいく練習をしていた、「天使」から「ドミノ」とか、「知りながら」から「なぜに」とか。

構成力展開力が問われる、そういうものがあれば小さい声でもそれなりにきれいに聞こえるでしょう。

 

 

ーー

 

「桜んぼの実る頃」

 

日本語は、別の曲と考えてもいいくらい。「桜んぼの実る頃」は初心者かベテランが歌うことが多いかもしれません。

1オクターブくらいで残っている曲は名曲が多い、1オクターブくらいでちゃんと伝えるには歌い手の技量がいるが、日本では2オクターブとかあると初心者は出せないから、選ぶ、案外、それで初々しくてよかったりする、3年くらい経ってくると、むしろボロがどんどん出てきます。さらっと歌って今まで歌ったいろいろな歌の何かしらが残って無難に、途中でどこか止まらずに終われたらよいです。それを邪魔するところは、どこなのかとみましょう。

処理で言えば助詞で引っ掛かるところがある、「紅い雫が」の「が」、「過ごした」の「た」、「偲んで」、言葉が声の動きで潜ってしまうところ。あとは日本語をどれくらいクリアに表現するかです。

この手のシャンソン歌う人はすごくていねいに歌う人が多い、日本の唱歌のような歌い方、合唱団のように個性を出すよりは歌がよいのだからそのまま詠み人知らずのように。

コラ・ヴォケールもおもしろいわけではないが、かと言ってあんなふうにさらっと歌うのは、難しい、そのさらっと歌えないところをチェックしていけばいいのです。

さくらんぼ実る頃は」というテーマは、ある程度構成していかないと、特に日本語は着色しないと成り立ち難いです。「乙女たちの」よい、「心乱れて」はどうか。「焦がすよ」若々しく切って出してもいいがそれはやはり徹底して全体をそうするとか4番はそうするとか位置づけを決めないとそこだけ目立ってしまいます。

「愛の歓びを」の「を」、読みの場合助詞が目立ったらおかしいが歌の場合は目立たせていけないわけではない、きちんと歌う人にはビブラートかけて目立たせる人もいるが、消し込むのが今どきの方向か。どちらでもいいがそれに対して「皆歌うよ」がちゃんと降りてきているか。

この曲は全体でよかったとか悪かったとか味があったとか懐かしく思ったとか、あまり細かく一つ一つどうこう言うような歌ではないです。

 

 

ーー

 

「アデュー」

 

1~2はいいけど3~4はフランス語も日本語も構成がよくわからないです。5~6、抑えたところで聞かせるということではいいが6最後少し重い。7も抑えているところで構いませんがその場合やはり8最後が落ち着かないです。10、6ほどよくない、11~12、7~8よりはいいが相当リズム的にうまく処理しないとなりません。

日本語で見てしまうとリズムに合わせるのは難しい、出だしの4フレーズと似てきます。これら伏線の上に13が結びついてガラッと変わる13に入るわけでここも展開、15、16、の後半よく。わからない、日本語は言葉で聞けばまだわかりやすい。

そこからさらに17Adieuにもっていって展開、後半上げるのはよいです。でも18で重ねたときにあまり効果を上げておらず元に戻した方がいいくらい、その反動か19~20は落ち着いてフレーズが成り立ちました。最後日本語、23リズム処理、24フレーズ処理、多分練り込みの問題、この曲のリズム、フレーズ、構成、展開、まだ複雑になっています。

さらっと歌わなければいけない歌だけど、日本人が歌うとそこが実力差、大きな歌になってしまう、音域が広い、サラッといっているところを歌わされてしまう。歌わされてしまうとよくない歌です。そういうのは多い、民謡以外、Adieuをメリハリつけて歌うという手もありますが。

 

 

ーー

 

「幸福を売る男」

 

音域の違いとは思うがあまりAとBを分け過ぎないことです。

日本でシャンソンを歌うなら、「歩く」「売り」「頰」「恋」「風」、アナウンサーのように練習しておいた方がいいです。でないとセリフや言葉を大切にしている人たちに届かない、

そういう世界の審査のやり方は、逆でクラシック的ではなく歌謡曲的。

プロはフレーズもできてなく声もないが、言葉がすごくていねいで逆にそこにこだわるから声量やフレーズやメリハリが出てこない、お客さんが言葉で聞くのです。

朗読の世界、表現が豊かというか具体的、朗読も決して自然ではないが「つらい」とあればこういう感じの言い方をしなければいけない、というのがあり、それはシャンソンの歌手にでもつくしかないです。それにしても言葉が浮き出てこないので日本語で歌う場合は気をつけた方がいいです。「恋」「口づけ」気を使って言ってますよというような演出です。

フランス語Aの声のくすみ方が気になる、日本語、日本人が歌うとそうなるけど切り過ぎ、8つに完全に切って言葉で歌う世界もあるが、もったいない。Aのつくり声、AとBの二役、Aの言葉とBの歌、の繰り返しとなればBで勝負しかない、それでもBの完成度50%くらい、5から8よりは13から16の方がよかった、日本語は21から24がよい、フランス語は13、14、15の前半、16の前半はよかった、15、16の各後半がよければ13から16通っていた、28最後もどうかと言う人もいるだろうけどまあよいでしょう。フランス語は少なくともBをそのレベルで通せたら。日本語はまた別の問題が出てきます。

 

 

ーー

 

「サ・セ・パリ」

日本語だと歌詞を重視しないと伝わり難いが、フランス語のときネイティブが聞くのと日本人が聞くのとでは相当違うので判断には迷うが、これも音の流れを楽器的に置いていってつないでいます。

1曲目に比べ、ギリギリOKだが聞く人によっては間延び、3や5、7で何かできそう、Bに入ると言葉と10、12、14最後はみ出たりリズムが段々乱れ、そのまま回復できず15へ、15から16のつなぎはすごく大切だがこの流れがよくない、15の勢いを借りてメリハリがあるとスムーズなのだが。16以降は1からに比べたら明らかに崩れています。24はまあまあのまとめ方。

これも楽器的に声を捉えるのであればアリだが日本人向けには難しいです。以前声が上でかすれたり欠点が顕に出ていたのがないような歌い方ではあります。その欠点は今日は4曲目の最後の方だけ。

密度が違う、表面を撫でています。1から4まで流されています。原曲の人は体も強いし息もあるし深いから、そのレベルは無理でもその半分くらいのことはできます。声量として強いのではなく声の芯としてのつかみ方をもっと強くしないと3~4が全然動かない、これも起承転結です。

もう一度、強めでよいです。ここしかないと思って大きくつくって。もっと強いところ強調して切れないか。ロングトーンのよう、スタッカートまでではなくても強いとこもっと強く。1行に2つずつ強くしないといけないところがあって8つ、しかもその8つが目立たないように構成しないと歌が展開しない、本当は8つ同じ強さではだめです。

3~4で方向が変わっていないと5~8はもたないです。1~2だけ、目一杯強めに。まだ体半分、7割は要る。「Paris」で息や体で切る音が入るくらい、大きな声で喋っていくのです。

 

 

ーー

 

「谷間に三つの鐘が鳴る」

 

物語になっているので、読んでみればすごく単純で、言葉で処理するのが一つです。もう一つは歌である以上、鐘が鳴る、三つの切り返し、同じ歌い方でよいです。最後ちょっと変えるくらいです。原曲は淡々と歌っています。「甚六兵衛さん」とか日本語の処理が若干難しい。

「門出」の「で」、「祝って」の「て」、言葉に囚われると6、7、8の流れが悪くなるのをきれいに処理する、シャンソンによくある言葉でストーリーを語った後にメロディックに展開する典型的な形です。

「鐘が鳴る鳴るよ」が3回出るところが切れ目、全部語尾を伸ばして音楽的に処理するのはいいけど、少なくとも15、16、17の3番まで共通する部分、流れを何かしら切り出していかないと、流れただけです。2番「鳴るよ」の「よ」ブレてきます。

どう見せるかはっきり決めて切るなら切る、見せるなら見せる、出ないとダラダラ。3番「星のきれいな夜」など歌詞は工夫して若干変えながら繰り返されているので、歌い手がそのへんを強調して出すべきです。あとは構成に合わせて変えていく、生まれて、結婚して、死んでいった。

あまり派手に歌う曲ではないが、音楽的に処理してその繰り返しの効果を最大限に活かしつつ、言葉で音楽を壊さないようにていねいに説明していって、これだけ長い三つの場面を切りとらなければいけないです。アカペラかピアノ伴奏程度でもいいです。こういうのを日本人は歌ってしまうが、向こうの人たちは抑えて自然に言葉を置いていきます。歌わない歌は難しい、そういう意味で勉強になります。

日本語なら「星のきれいな」はかなり目立たせた方がよいです。ニュアンス入れた方がよいです。そこに「赤ちゃん」、「甚六兵衛さん」、そのつながりをかなり意識してもっていく、意図的に切り出した方がよいです。フランス語ではそこまでやる必要ないでしょう。9から「鐘が鳴る鳴るよ」はいいけどここも「甚六兵衛さん」「誕生」、聞いている方はこの物語聞いても案外「甚六兵衛さん」くらいしか覚えてないのでキーワードはかなり強めに見せないと曲がわからなくなります。

ポイントは15~17「小さな命の」からの三つ、どれくらいもっていけるか、畳み込むのです。相当派手にやっても目立たないです。

 

 

ーー

 

「ブン」

 

シャルル・トレネは、鋭いリズム感、鋭い声ももっています。シャンソンによくあるフランス語独自の語感でつくられていて、訳しようもないものを無理に訳しながら音のおもしろさを追求する歌。Cが成り立たないと、擬音部分などよりもしつこく執拗に歌い込まないと、その後流れていってしまいます。言い切っていく曲でしょう。

 

 

ーー

 

「サン・ジャンの私の恋人」

 

一つの流れのなかでどこまで切り込めるか。歌い方で切り込んではいたが、後半でバタバタしてきました。切り込んで歌うとメリハリがついていいのだが、気をつけないとワンパターンになってしまいます。最初、問題ないです。「甘いささやきなら」の「なら」、「それっきりよ」、「あの人のものなのよ」言葉で勝負するのか曲調でやっていくのか二通りあります。「騙されても」の「ても」、「愛してしまった」の「しまった」よくない。「甘いささやきなら」の「きなら」、このへんから歌のスタンスが閉じていく、歌の幅が保てなくなってきています。スタンスが壊れると歌は成り立たなくなる、内側に入ってきます。

「嘘と」はだめだが「私はいつも信じたのよ」で立ち直った感じはありましたが。「初めての恋だから」の「恋」「ら」、「私は」「夢中」「だったのね」閉じていったせいでそうなるのか、切り込みが、前半効果的だったものがパターンに飽きてきて読めるようになるので、特に「信じてしまうもの」、「甘いささやきなら」はよいのに。「あの腕に抱かれれば誰だってそれっきりよ」同じフレーズが最初に出てきて同じように歌ったときは切り込みでよいと思ったのに、ここでは切れ過ぎ、さっさと行ってしまう感じ、スタンスが崩れたのでしょう。

「いいじゃないの」はよい、「過ぎた」はよくないです。完全に崩れているわけではなくて、ところどころ立ち直ったりフレーズが言えていたりはするが、落差、そこが繰り返されているからガタガタになってしまっています。前半を直した方が早そう。こういう歌は畳み掛け方がうまくいかないと、歌わされてしまいます。

 

 

ーー

 

「モンマルトルの丘」

 

頭からそういうものがきちんと入っていて、フランス語というよりこの歌自体の語感とか曲調のリズム音感と合っているのか慣れていて入っているのか見えていて、フランス語でも日本語でもそういう意味の安定感はあります。6最後、7真ん中あたり、少し引っ掛かるがそれほど問題ない、9、10の流れ、11の最後もそうだが、12~14できれいに戻った、15、16、17最後も同様18~20で、でも少しずつ呼吸とか集中度は落ちてきているが、問題は21~22、35~36のB、根本的な問題は呼吸、呼吸の強さもあるが、もう一つは集中力維持力とともに、このフレーズ内のバランス、21に対する22、35~36も全く同じでいいのだが、線が弱くなっています。

2番に入っても言えること、26~28も前半より弱くなっています。31もそうです。あと他の曲でも気になったことだが、39最後弱くて伸ばすと、マイクがあればごまかせるしそれで歌らしくなるけど、基本的には呼吸とかバランスで言うと、歌の構成、全体の流れを妨げます。42もちょっと弱い。ただ比較的うまくまとまっています。マイクをつけたら気づかない程度には流せます。リズム音感で言うと、この曲の方がカンツォーネより難しそうなものだが、逆な感じになっています。

日本語。「うずいたよ」の「ず」「たよ」問題。6、7、8、「肌」「女」とか雑、音楽とはまた別に言葉の処理をしないと。「めぐりあい」は「あ」で弱くするのはいいけどその後どうするか、同じです。15、16、17、このへんも全部言葉、日本語ていねいに歌い心情描写や情景描写をしなければいけないところでサッと行ってしまうと何も伝わらないでしょう。

何か一つ限定して徹底して伝えないと、18からは抽象的なので、具体的なところの日本語処理は、プロ歌手はすごくていねいです。そのために音感やリズムや呼吸が悪くなったりしていることも多いが、一般のお客さんは言葉で聞くのです。テンポは崩れてはいけないがゆっくり聞こえるように歌わなければいけないのがこの手の歌で難しいところです。

 これだけの大きなものを言わなければいけないところでもっていない、発音よりはむしろこの言葉の世界を出さなければいけないところです。2番に入ると同じように26、流れが弱くなる、「胸ふるえ」まあよい、「しのび泣く」言い換えているけど、「花ひとつ」、素人の歌は語尾を棒伸ばし、プロのビブラートを真似ているのですが、「花ひと」まできちんと置かれた上で「つ」が伸びているならいいのだが、「花ひと」がざっと行ってそこに「つ」が少し強めに長めにつけると単に棒伸ばし、このような短い曲ならいいけど飽きられる元です。

日本語の場合は歌詞で組み替えているが、同じフレーズだしバランス位置づけから言うと歌詞によって歌い方変えてはいけないが、現場から言うと歌詞によって音色とか歌い方を変えた方が歌詞から見れば伝わる、そこは葛藤、迷うところです。35、36「かなしさ」から37「あの時」に入るところの呼吸はすごくよい、伴奏つくと消えるのでもったいないのだがこういう呼吸でとっていければよいです。その後「来ず」はよくないでしょう。

「遠い日」音楽的なことをどの程度犠牲にして言葉にするのか、本当は伴ればいいが、そうなると日本語の歌詞できちんと歌えている人を研究していきましょう。

高英男さんはクラシックの発声の上に日本語を置き換えているからメロディーを日本語の音に置き換えていくやり方なので聞き難いところもあったりするが声がいいのでもってしまう、ポップスから言うと、ちょっと邪道になる、よくも悪くも今の時代では難しいです。

 

 

 

ーー

 

「サン・トワ・マミー」

 

呼吸の問題、発声の問題、発音の問題、フレーズの問題、表現など、耳で聞いて自分なりにつくってきたイメージと歌が一致しないところで何が起きているのか、それがどの問題なのかということです。

あまりにイメージから入ってしまうと、体がついていかないで全部が小さく途切れ途切れ、それぞれ何かやろうとしているのはわかるけれど、ど素人が思い切りよく歌っているくらいに表現力もなくなってしまっています。それではどっちつかずです。

 

「二人の恋は終わったのね」三割くらい呼吸が足らない、いや1.5倍くらいは必要。長くというより大きく、大きな声と考えたらわかりやすい、息とか体が使われているかわかります。

表現を考えて、それを逆に抑えつけています。「二人の恋は」に対して「終わったのね」が大きくなっています。逆。「二人の恋は」の「り」は問題、「い」も解決してない。「た」は踏み込まないと。言えてない。

 

フランス語だと日本語とは全然違います。「た」でバーンとぶつけています。歌だからそのくらいでいい。まだ引いている。引いているから「は」のところで余って下手な演歌歌手みたいにビブラートがかかってしまう。一番違うのは「二人」のところで入り込まないし、そこでリズムもフレーズもつくっていないから「恋は」がもたついてしまう、どんどんもたつく歌い方になってしまう。

「恋は」を小さくするのではなく、「二人」を大きく、5:5、7:3くらいにする。

 

「楽しい夢のような」かすれないところで、キーは歌のときのキーにとらわれず。「しい」「な」のところで引っ掛からないように。少しまだ広がっているのは、鼻腔の共鳴でまとめていった方がいいです。

 

ーー

 

「水に流して」

 

「始まるのよ」かすれないところで。

「今から」の入り方。「今から始まるのよ」、「の」から「よ」の処理。より深く入れるのもあるし、上に浮かすのもある、とにかく喉にかけてしまうと、ビブラートとは言わないがひびき、共鳴がもたないでぶつ切りになったりガタガタになったりします。

マイクがあるなら一番簡単な直し方は、3割くらい声量を落とすことです。今のところで雑になってしまうとすべての歌がサビになったり強く出すところが同じようなかかり方をしてしまってそこで溺れてしまう、乗り切れない、上に出て来ない。

 

 

ーー

「神の思いのままに」

 

1番の後半、特に1番の最後のところから2番にかけて、2番のA1、A2も崩れています。A1で崩れたのをA2で立て直そうとして頭は立て直したけど、そういう立て直し方をしてしまうと崩れてしまうのです。1番で立てたものを2番で崩して感情移入の形にもっていっています。普通は崩れてしまいます。

崩れ方もまだ作品の範囲ならいいけど、それでだめになるなら崩さない方がいいです。Bあたりから音色の置き方と感情の込め方の練習みたいなもので真似では通用しません。課題曲なので、真似てみて違うことに気づいたり、違うおき方ができたら、それはそれで一つの勉強です。

 支えが気になる。入り方、必要性があってハスキーなりかすれるならともかく、そうでないとほわんとして、もっていけていないわけではなくてフレーズの後半になると戻ります。だから、それなら全部後半と同じノリのところで入った方がいいです。

曲が捉えられていないなりに、もう歌えています。安定度でいうと2番の方。ただカントリーっぽい歌い方になるので歌詞をメロディーに乗せて伝えていくということだけ、もちにくいです。

なぜこれが歌いたいのか、歌唱とかステージとして見たときに何かプラスアルファがないと厳しいです。1番でも、もっと思い切り外して構いませんと思います。ベコーは外しています。普通の感覚のところから。新鮮味とそこから納得させられるような納め方をするからよい作品になります。ある意味、詩人、パフォーマンス的な歌い方、一つの参考になるでしょう。

日本人の声楽とジルベール・ベコーのオリジナル。声楽の勉強では歌えるように感覚や体や技術を身につける。日本と世界の差なので、最初から世界を見た方が複雑なことをやらなくてもストレートにできることもあるでしょう。

 

違いは構成と展開。本当に優れた一流のクラシック歌手はやっているが、日本人は考えもしていないことが多いからポップスなどに負けたりする。好き嫌いは好みの問題だが、世界に通用するしないというところでは、明らかに差がついている。

同じことをやっているので、レベルという話ではない。こういう曲に求めるのは同じこと。声楽家シャンソンを歌っていると普通の場合はそう歌えない、それを目指すよりは、そこまでの技術がなくとも歌えてしまう人は、ポップスにたくさんいる。その方が、難しい、余計なものを使っちゃいけない、ということになってくる。体とか声とか。

 

ジルベール・ベコーは、シャンソン歌手、メケ・メケ(美輪明宏の最初のヒット曲)をつくった人で、世界的なヒット曲がいくつもある。この曲はたっぷり歌っている。打楽器的な、リズムで叩いていくような攻撃的な感じの歌い手。

 

 

ーー

 

「パリの空の下」

ハミングのところがプラスマイナスゼロよりはむしろマイナス、この歌はそこも大きな要素になってしまいます。「行く」の二ヵ所、「い」から「く」、その「く」の伸ばし方のところ、音程は合っていても少し聞こえ難い、離れている感じ。「パリ」の「パ」も「ハ」や「バ」に聞こえたりしやすいところ。全体の流れでいくとCのところ、構成、もたれて歌いがちになりそうなところです。

 

ーー

 

「ドミノ」

 

「泣いたとて浮世なら」、「と」と「な」が完全に殺しています。「ドミノドミノ変わらずと誓いてよ」、言葉としてもっとはっきり入れ込んでみることです。カーブを運転するときの最短距離で一番スムーズにハンドル切るように、感情移入よりは動きを一つにするような感じです。

「ず」と「誓」のあたりがどうしてももたつきます。「ドミノドミノ」だけ。キーを下げて。それでひびきを胸と上にもまとめて。発声から言うとそのあたりです。そのまんまで「変わらずと誓いてよ」。

もう少しフレーズを大きめにとって。その先「ドミノドミノ君ゆえに耐えゆかん」、もたついている。「泣いたとて」、「と」があたってない。「泣いたとて浮世なら」、「な」きちんと当てます。

大きな呼吸で、二つに考えないで一つで考えることです。「と」で発声が変わってしまう。響いているけどひびきがまだまとまってないです。呼吸を使うのはいいけど使った分だけが全部共鳴として効率よく線を描いていくことです。

その線が迷ってしまったりかすれたり、わざと言葉でおいたり息にしたりしないようにします。習字でいえば、そのかすれているのがいいとかで墨をあまりつけないでやるようにならないことです。今やるのは、とりあえずは、たっぷりと墨をつけて一番効率的にその流れの線を出すということです。余計なことをすごく複雑にし過ぎています。

 

 

ーー

 

「枯葉」

 

一番欠けているのは、力強さ、パワーです。確かにイヴ・モンタンのを聞くと、他の歌では力を出していたり太い声を出していたりするが、枯葉に関しては柔らかくというか、むしろ構成で見せています。そこに引きずられてしまうとモグモグして終わりになってしまう、しかもフランス語だからきれいに回るが日本語だったらバタバタしてしまうだけ、ああいう処理の仕方を日本語でできるかというと多分失敗するでしょう。

 

トータル的にどう組み立ているかはいろいろあっていいが、何かしら出していかないと曲がもたないです。名曲、それだけのメロディーの力とか構成の力はあるわけだから、そこを歌い手が何かしら組み入れて、よい曲だということを知らせなければいけません。

 

名曲で誰でも歌える曲ではあるけど、本当に歌おうとすると相当難しいので、あまり選ぶ人もいない、有名だからカバーしておこうと、いろんな人たちが歌っているが、オーディションなどでこの曲は選ばないでしょう。それだけ華を出しがたい。

 

昔、越路吹雪さんで流行った頃は、多かったかもしれないが、大体サビで失敗します。深い歌。

 

枯葉に、全部合わせるということ自体に無理があります。それぞれ味もリズムも言葉も違うので、そのペースでやってしまうと、枯葉が完璧ならともかく、そこの問題を全部引きずってしまいます。

 

 

ーー

 

「イザベル」

 

「Isabelle」の繰り返し。違うな、と課題はわかりやすい。「イザベーエール」になってしまう。まだ「エ」が広がっている。「イザベル」を「イザアベエルウ」と言うのはもう日本語。音としては音節一つくらいで捉えましょう、踏み込んで放すというだけ、それがフワンとなっちゃったらもう歌ではない、一つでなければいけない。「ザ」が踏み込んでいない。子音が弱い、「ベ」とか「バ」は日本人は強くしないから。

「イザベル」と考えると難しくなる。「.ザ..」「..べ.」とかそのくらい。「イ」の前の踏み込み、ここから入るのですがここから入ろうとするとこうなってしまう。これだけのアフタービートをとってなければいけない、1234とあって1。それで4つ目のその高さのところでシャウトできるかがこの曲を選べるかどうか。

日本人の場合は4つ目で歌い上げるしかなくなる、そうするとぐちゃぐちゃだけどその方が歌らしくは思われる、原曲はそんなこと全然やってない。あとは強く感情込めて、この曲は後になればなるほどセリフになってくるけどあれで音を処理している。

 あまりメロディックになるよりは言葉のシャウトに対してメロディーを処理しているという意味だと、イザベルなどは音域は広くて大変だけど、これでイザベルが言えるところまでがその人の歌にできる、言葉が処理できる音域。もっと低いところからでないと出ないけど、そうすると女性は最初が出にくいでしょう。

 

ーー

 

想い出の瞳

 

日本語の見せ方とフランス語の見せ方はかなり違うところがある。日本語は、フランス語のように投げ出したり引っ張ったり軽いリズム感でもっていけるようなものではないので、どうしても重くなったり情緒的になったりしがちだが、日本のお客さんに受けるのであればそれはそれで、ニーズも歌い手のスタンスも違うのです。

 

「だけどだけど好きなのよ」が単にパターンで終わっていいのか。原語は韻を踏んでそれだけで音楽的に聞こえる、わざとそれを繰り返すために並べたものとは違う。日本語の場合は2行くらいで終わってもいいのではと思うけど、日本人はオリジナルの真似が好きなので、もってなくても同じ回数やる。ピッタリ同じ回数やるのは、そもそもおかしな話。

 

原語は6行で効果を上げていても、日本語では2行で効果が上がり6行になったら台無しになるなら2行でやめるべきでは。ただファンはオリジナルを聞いてファンになるわけで6行欲しいのだろうし、そもそも歌い手自体がファンなので。そうなら今ふうなら「だけどだけど」でいいのか歌詞から考えないといけないです。昔の人はこういうところは、フランス語でそのままやって感覚を残したのでしょう。そのあたりも英語ならともかく、フランス語、イタリア語は、日本人にはわからない。日本の発展の度合い。昭和歌謡として歌っていくのかにもよるでしょう。

 

 

ーー

 

「空と太陽と海」

 

日本語は譜面通りだと間延びしてしまう、原曲は間を抜いていると思う。音符についた通りにやらなければ大丈夫。「空と海と太陽とそれだけが恋の形見」音程をとるみたいに歌わないでつなげてみてください。

「それだけ」の「け」もきちんと収めて、最初の「空と海と太陽と」三つに分けないで。「何も言えずただあの口づけ」キーを下げて。フレーズの練習、リズムと言葉と、日本語のなかでは、なかなか練習し難しいです。フランス語の感覚で日本語で処理できると、すごく格好よく決まる歌です。

そうではない場合はほとんど駄目になる歌、はっきりとわかりやすいです。ベタで歌うと成り立たないけど、それを離れてシンプルに歌うと、すごくいい歌になります。

歌としては、きれいな歌だけど、普通の人が歌うとバタバタしてとても聞けない歌になる、叫んだり高くなっちゃったり喉を絞めたり。

1番の歌詞だけで4番まで歌ってみれば、差がわかる、それを踏まえた上で変えないと、歌詞に合わせて変えてしまうと何の勉強にもなりません。

あるいはハミングとかスキャットでもいいでしょう。

するとどういうふうに声を動かすかというのを、編曲ではないけど音を変えているのですが、ヴォーカルがフェイクしたり動かしたり、日本ではほとんどやらないけど、こういう自由度がヴォーカルはあるということがわかってきます。

 

フェイクとか、いわゆる変化のさせ方。歌唱曲にはなり難い、地味と言えば地味なのです。

シャンソン好きな知っている人に対して歌うならいいだろうけど、そうでない場合、レパートリーには、なり難いです。

名曲です。空と太陽と海、単に三つ並べていけばいいというだけ、

2番までで終わって、あまり変化がやれてないので、日本語で同じ歌詞でやるとよいです。違うパターンで4つ、そうなればなるほど、1番でスタンダード、その通りに歌うのがすごく大切になってきます。

 

Aのところで構成を出さなければいけないのです。Cはテーマなのでのほほんと歌ってもいいししっかり歌ってもよいです。こういう歌だよと指し示すものなので、AからBにどういうふうに展開してCで落としこむか、単純にこの流れの繰り返し。

おもしろいのが、Aメロで変化してゆくこと、いろいろな形にします。そのニュアンスがおもしろいなと思わせるためには、1番で徹底してこんな進行だよと、こんなメロディーだよというのが入っていないと。日本語をつけて歌詞も変えてしまうと違う歌みたいに歌ってしまうでしょう。

それは難しいので1番の歌詞で全部やる、そうすると初めて音楽的な動かし方がわかるのです。

日本人は大体言葉に引っ張られてしまう、言葉が悲しいなら悲しく歌ったり。ただ音楽的には同じメロディーであれば、そこは関係ないのです。でもお客さんもそこに反応してしまうから、プロであるほど言葉の方を大切にしてしまいます。

 

これも時代的にはアラン・ドロンの頃のような映画っぽいシーンだとは思う、厚さはなければいけないし、歌である以上、何に感動して何を出したいと思って歌ったのかというのが、出てなければ、ただつなぐだけの歌になってしまいます。

有名な曲だけど曲集にはなかなか入らない。

譜面の歌詞、あまりうまくついていないので、歌詞だけ見て、譜面は見ないで歌ってみた方がいいでしょう。

 

 

ーー

 

「夜のメロディー」

 

9行目「La nuit je deviens fou」、これが構成できたらこの歌は簡単にできるくらい、これは課題。「夜の私のおろかさよ」、キーを下げて。感情が定まってないところに出そうとするからおかしい。単純に音を置いていった方がまだ伝わるでしょう。

芝居しているのと同じになってしまう、芝居してはだめ、芝居できるところというのは自分の体と心が一致して相手が引き込まれているときに、若干拡張したり落としたりはできるけど、キャッチしないままにそれを先にやってしまうと相手は入ってこれなくなってバリアになります。

ピーターも癖があるので、アダモはかすれてはいるけどきちんと音楽的に処理しているのでそれでやってもいいでしょう。

 

「真昼もあなたを」半分くらいは乗っている。マイクなしだと「た」「を」の処理がもう少し。少し流れています。「も」「を」。じっくりそれを投げ掛けた後に、「忘れはしないわ」。「を」で投げ切れていない、それを引きつけてから「忘れはしないわ」で落ちてきていない、別の線になっています。

音量、入り方、質感、全部入れていって、ただそれはどちらかと言うと演歌とか日本語をすごく大切にする人の聞き方、でもここでは他のもので勝負できないから。

「頃が」流れている。「真昼もあなたを忘れはしないわ 月沈む頃が一番つらいわ」二つ、本当なら一つで捉えたいところです。この4行に次の4行、最初の4行がもてば聞いてもらえるから、これを「夜の私のおろかさよ」にもっていかなければいけないわけだから、あまりきれいによい声で歌い過ぎてもよくない、

 

それをあまり入れたくないからフランス語の方がいいのだが、日本語の方がまだまとまりやすい、と言うかお客さんは歌詞で聞いてくれるからです。フランス語の方は難しい、ここだけでよくこんな歌い方している。

アダモは力があり、あんな声で声量もなさそうなのに、すごく力強い、日本人の好きな歌い手です。「雪は降る」で一世を風靡した人、アラン・ドロンと同じで、日本の人気の方がずっと上回ります。

 

 

ーー

 

「ろくでなし」

 

崩れていくというよりはメンタルの問題でなかなか歌える人はいない、よほど修羅場をくぐった人とか実体験がそうかはわからないけど少なくとも歌い手としてはそれくらいのメンタリティをもっている人が歌ってきています。

完全に自分が主人公ですべて動かすくらいにならないと歌に負けてしまいます。1番もだけど2番、3番、もっと難しいです。

 

自分の方にすべて引き寄せて自分が動かせているのか、単に歌わされているのか、この歌の場合は自滅します。大体ワンコーラスでもたない、そういう難しさ。キャラが立っている人とか役者出身の人、一人芝居に慣れている人、お笑いの人とかは案外楽にできたりします。きれいな曲をうまく歌っているような人たちは、やりがたいかもしれない、でも歌の半分はそういうようなものです。

 

気持ちがよいだけのものを気持ちよく聞いて歌うのは基本。

だけど、いろいろなものがすごく入っています。しかも動かし方で変わります。

原語では、わかり難いかもしれないけど、日本語では、すごくわかりやすいです。

 

踏み込みがないと、声の太さがないと、粘りとか動きが出てこない、表向きテンポとともに進んでいくが、キャラ立ち、これで作品として言いたいことをきちんと伝えて終わらせるというのはなかなかできないです。

 

 

ーー

 

「わかっているよ」

 

「Je le vois」の処理、日本語で意味がないからこそ、フランス語で、これが日本語に聞こえてしまったらまずいでしょう。わざわざ訳さないで音の感覚で、何かを音楽的に処理することによって何かしらイマジネーションをつけようということです。

その当時のよくある処理の仕方。それが音で喚起されるようなことをやらなければいけないので、日本語の方が難しいのは確か、サビのところも日本語の方が大きくなってしまいます。

 

日本語の場合「わかっているよ」のところで歌い切るというか歌を大きくしないと、しょぼしょぼ歌ってしまうと、こんな曲はもたないです。本来は静かに、処理したいです。

布施明さんがやるとどうしても見せ場をつくってしまうけれど。

 

比較的うまくいっているのは5行目、Aの繰り返しのところ。Cのサビのところは本当は強く意識しないといけないでしょう。

日本語ではなくてフランス語の場合も。そのための7、8行の伏線、それがもう7行目で膨らんでいるので、そういうところをきちんと押さえておいて、場合によってはそのメリハリに応じて8行目少し抑え気味にしておいて、そうするとその後すごく強く出さなくても9行目がすごく引き立ちます。

 

7、8、9行が同じ感覚で行ってしまうと当然この歌がダラダラします。日本語でも「君の心の」の「心の」とか「すべて」が広がって膨らんでしまっています。

「悲しいことがあった時は」もそうです。発音にはあまりこだわらずに見ているが、「わかっているよ」あたりからも、もう少し日本語の処理は、きちんとした方がシャンソンの場合はよいでしょう。

「君を誰より愛しているから」のあたりも流れに逃げてしまっている感じがします。発音はっきりし過ぎると今度はもうちょっと声とか共鳴とか流れをとるように言われてしまうから、程度問題ではありますが。

「何も言わずに去っておくれ 幸せだった頃のように」言葉のまとまりをどこにとるのか、メロディーとかフレーズのまとまりをどうするのか、日本語がぶつかってきてその上でどちらを選んだのかが見えてくると、よい悪いではなく好き嫌いではっきりするけど、まだそこまで行ってない感じがします。

 

 

ーー

 

「ラ・メール」

 

「ラ・メール」が気持ちよくいけばいいので、他のは全部邪魔してしまうから、邪魔しないためにどう歌えばいいかというようなこと、簡単そうなんだけれど、小学生の教科書に出てきそうですが、実際歌うとなると多分一番難しい、コンサートとかでこういう曲は多分引き立たないから、聞いたことがないけど、一曲しか歌えないときにラ・メールを選ぶ人はいないとは思う、20曲のなかでとか、アルバムに入れるなら、なかなか、よい歌です。

そういう面では他の曲の方がもっていきやすいです。この当時の歌、これだけ短いものをちゃんと繰り返してきちんと歌って伝えられるというのは、リズムも音感も鋭いものがないと難しいのです。

「ラ・メール」という言葉の問題。これが日本語の場合もフランス語の場合も引き立つかどうか。日本語の場合は「歩いて」「海の歌」「握って泣いたよ」の「よ」「去り行き」、語尾処理が、外国語の曲につけると、この頃の曲は終助詞を歌い切るのか、あるいはおくのかということで難しくなります。気持ちよく揺れるリズムと書いてあってもそこが乗り切れていない、重くなっています。語尾処理が流れに乗るというよりは流されています。キレがひじょうに悪いです。

 

ラ・メールも共通してキレをきちんと出していかなければなりません。これらの曲に限らないが、だらけてしまうと歌がバラバラになってしまいます。シンプルな歌なのに複雑になってしまうのです。

 

 

 

ーーー

 

リリーマルレーン Lili Marleen」

 

日本語だと難しいのが、原語だとなんとなくリズムに乗ってしまうというのと、日本人が聞いたときに日本語がついてないとなかなか伝わり難い部分もある、歌詞では無理なので先に物語を言ってから歌うとか、1番か2番か日本語にするとかです。

 

全体のバランスのところで歌のある種の色気やニュアンスを置いていく、それはすごくよくなったと思うけど、その分浅くなり、歌だからステージ的には明るくなっていくのはいいけど、それを流れないで止めさせるということが、多分曲を選ぶのだと思います。

 

今のバランスで歌いやすい曲や歌い難い曲が出てくる、それは歌い手が変えればよいです。歌を変えてもいいしスタンスが変えれるなら変えてもよいです。それが喉の問題になってこなければよいのです。マレーネ・ディートリッヒもハスキーな声ですね。

 

一回全部、手本を追ってみて、同じキーでなくてもいいです。新井英一バージョンです。

「ガラス窓に灯がともり」体をつけて。音域広くないので大きく。4つに聞こえる1つに。そこに声とか体をつける。

「酒場の片隅」もっと肉声をつける。体は入っているけどきちんと回るように。鼻に回っている。

「陽気に歌っている」呼吸がない。

「酒場の片隅で陽気に歌っている」。

「夜がくる」ボリュームをつけて。もっと。

「今日も町に夜がくる」言えるところで。

 

「酒場の片隅」もっと太く。「酒場の」が6「片隅」が4くらいになっています。

「片隅」が6くらいはないと。今、表現よりは呼吸と体と息がくっつく。

形だと上半身が優先してしまうから、歌ってそうなってもいいのですが、この人もすごく強い人だから、下半身がきちんと通っています。そのきちんと通っているところを勉強することです。

 

「陽気に歌っている」、「に」「て」のフレーズのつくり方が足りません。

重心のとり方、呼吸のとり方、歌い方は、それでもっておいて、カラオケや簡単な曲や唱歌にはバランスいいし歌いやすいでしょう。

前に出るからいいやり方でもあるし、感情もでるけど、それは人ができる。

ちょっとうまいプロの人たちなら、さらに。

 

こういう個性的に自分の味を出していこうとすると、もっと安定度が必要です。少なくともこの人の場合、音が跳ねていません。歌はバランスがいいけど、逆に言うと、もう今の体でいいというのでは、全部同じになります。

加藤登紀子さんの歌い方では、全部語尾を抜く、パッと。

こういうのをまねると、聞いている人たちには物足りなくなってくる、

こういうのは若い人は聞かないと思う。人生の深淵を見るようでキツいから、向き合わなければいけなくなる、BGMになりません、昔はそうだった、芝居みたいなものです。

 

 

 

ーー

 

キサスキサスキサス

「Quizás, quizás, quizás」 

 

 

日本人の特徴的な、日本語の歌詞の特徴的なもので、すごく小さく歌ってからすごく大きく歌っています。すごく大きく歌うのが今の歌い手は全然できなくなっているし、こういう張り方はできなくなっているけど、そういうふうに魅せていきます。

それを本場の人たちは、ラフに、このくらいの感覚でこなします。

 

「Quizás, quizás, quizás」

サビのところ。かすれないところで、歌から離れてみます。

「Pensando, pensando」だけ。キーを下げていく。段々広がって危ないところになります。Pen、上の方で鳴っている分にはいいけど、どこか余計なところでやっていると力で押してしまいます。

下の方もひびきが入らなくなります。「ペンサンドー、マで。マンマンドー」それを大きくしていって、それを上のひびきで少し回して、そこで喉を締めない、ハスキーならいくらでも出せるけど、練習のなかではあまり出したくないのです。

 

濁り過ぎないように。ナーナーナー。ナンナーナー。マーメーモー。余計なのがついていて、喉の方がなっています。力でもっていかない。そのくらいのところ、それでもっと響かせてみてください。

メで潰している。裏声にいくところだけど裏声にはならないところで地声で回す。あとは息を回していけばいいです。思っているよりは後ろが開くような感じでしょう。

 

歌になると仕方がないところはあるけれど、発声のために歌を使っていることでは、できるだけ声が回るところ、100出してしまったら、あと、どうやってももっていけなくなるのだから7割くらいで歌わなければいけないのです。7割で歌うということは、まだ3割も5割も、2倍強くしても歌えるところで歌うことです。

 

そこの音域自体固定されて死んでしまいます。マとかナに変えるといいけれど、そうでないと引っ掛かっています。

頭から小さく歌うのではなくて、大きく歌えるけど小さく歌うところ、大きくできるところのひびきは失わないようにしていかないと、サビに入れなくなってしまいます。

 

「Tú siempre me respondes」強く歌って、sieから声がバラけてくる。線がほどけてきてしまってはだめ。大きくすればするほど、針金の線のように強く、大きくというよりは凝縮した線、密度の詰まっている線になります。何回か繰り返して大きくしてみる。ちょっと広がっています。

 

「Quizás」これは体があった上でつくる分にはいいけれど、そこで体がなくなったときに上でつくれなくなるから、そういうときには無理にでも、歌い手もよくやるけど、無理にでも入れるのです。何かしら入れる、キのところで入れてもサ、ス、のところでもよいです。それが一つのルールみたいなものです。本質的なルール。そこから外れたところで自由は利かなくなってしまいます。

 

それをもっと強く。もっと大きく。サが広がっている。キカクにして、その方が入っています。ニナヌ。メマム。もっと大きく。ギガグ。確認するならそのときの胸のところ、ギ、ギ、ギ、ここのひびきのところ。ガが広がっている。

 

一つにして。キーを上げて。ガがもうとれない。ガからグのあいだに雑音が入った。「ハイハイ」で。もっと強く。そうやってくることでひびきが戻ってきます。高いところは上が中心の感覚になるし、低いところは胸が中心、それ以外のところは必要ないわけではありません。

 

歌い手によっては使っている人もいるけど、リスクが大きくなります。マイクに入りにくくなったり、効率が悪くなるからコントロールしにくくなるのです。

 

声が出るようになってくれば収まるところに収まるという意味では法を超えずというか。自分の力で働く部分と、自然と働く部分と両方あって、意識とか向きは自分でコントロールしなければいけません。

 

本当に入っている人だったら、神様のようにしゃべっていたら歌になるのだろうけど、多くはそうではないのです。方向性とかイメージとしてはもっていないといけません。それ以上に無理して出した部分というのは必ず無理が出てしまう、1オクターブ以上のものを自然にやろうなんて、そう簡単にできることではないから半オクターブくらいでやってはいます。

 

「Quizás, quizás, quizás」完成度が問われて、一つの課題として挑戦していったらいいでしょう。それでやっていこうと、ゆっくりしっかり歌おうとすると、本当に20年かかる世界になってきます。ある程度は、勢いとか大きさとかメリハリで魅せていかないと、歌としてはもたなくなります。

 

大きくできるところで小さくコントロールする、それが大きくできないところの小ささでは何にもなっていない、それだったら大きく歌い、大小で魅せていく、サビのところは否応なしに強くなる、その強いところで、かすれたりうまく声が回らなくなってくると聞き苦しくなります。

 

サビ以外もたせるのはAのできたところを徹底して繰り返せばそれほど難しくない、BさえなんとかすればあとはAの繰り返しなだけでもつ曲です。編曲していけば難しくなるけど。

 

3行目まではよかったです。Quizás, quizás, quizás の収め方くらいからずれ始めて、以降は最初の3行のレベルで見えるところは全然ないです。いつも通りサビ、高いところのかすれ、その後Aに戻ったときに立ち直って戻れればよかったのですが、とても戻った感じになりません。いろいろ展開してそうなのですが何か詰まり気味。よかったところがなぜ繰り返せないのでしょうか。

 

 

 

 

「ベサメ・ムーチョ」

 

日本人には難しい歌、日本人の殻を破って向こうの感覚の雰囲気、ダンスして、あたりまえにキスをするようなところまで浸り切ったら、ある程度こういうのが出せるのです。ステージも衣装を変えたり照明を変えたりしながらお客さんをその世界にもっていく、なかなか難しいけどお客さんだって現実を見たいわけではないので、映画と同じことです。

 

 

ーー

 

イパネマの娘

 

比較的抑えて音色で聞かせるようなボサノヴァの曲という感覚のままいけば、Aはそれほど問題なかったです。Bの9、10行目「Ah~」もひじょうによい。ただ9、10行目に対して12、13行目があるのであって、これがあまり成り立っていません。9~11に対し落差をつけて12~13と落ちてくる、そのギャップ、転じるところがあまり見られない、あるいは12~13は、そこまでよりは何かしら溜めなければいけないのに、ボサノヴァとしてもそんなにサラッと行ってしまったらそこを聞かせるんだろうということになります。14からはもう少しリズム的なことが見えないと退屈、17になると息切れして最後までまとめ切れていない。そのまま18に入ってAに戻ったところはよかった、以降同じ。A’の承でちょっと落ちて、起承転結の承というのは難しい、そこで頑張ろうとしても起よりは抑えなければいけなかったりするし、それでも起に比べて承はいつも何か落ちる気がする、ただつなげばよいです。起と同じことをやるか若干欠けてもいいくらいなのですが、そこの緊張感なりつくり上げたものが。

問題はBのところ、ここも単純に、出した、落とした、そのくらいのことが見られればよいのですが、その転じ方があまり聞こえないので、この曲の一番の見所が。暗転、前に出たものとメリハリ、そこのニュアンスを音楽的にどうもっていくかです。

A’、英語の方がリズムは出ていた。B、「sadly」とか、語尾のところが緊張感を欠く、完成度が下がっています。最後、あまりフェイドアウトしていない、日本人が歌うと皆そうだけど、この回数あるから繰り返しているだけ、

その点、向こうの人たちは本当にうまくて、マイクなくてもこうやって終わっていって次で終わるんだなという感じでちゃんと終わったり、サービスでもう一回やってくれたとか、レスポンスがちゃんととれます。

日本人はただその回数繰り返しているだけに見えてしまう場合が多い、ひどいと途中で強くなったり一番最後で頑張っちゃったり、つながっていないのです。

ここを歌うなら40~48が一本の流れになっていなければいけないのに、8個とか16個で歌っています。なかなか大きくカパっと捉えられない。体がない、呼吸がない、ということとつながっていきます。

 

 

ーー

 

「インシャラー」

 

勢いと切れがないと、こういう内容は難しいし音楽的にももっていけないから原語ではすごく難しいと思います。6行目よくない。

よかったのは11行目「Inch’Allah」の続く真ん中あたり、ここだけは日本語より原語の方がよかった。こういう歌であまり溜まったり引きずったりしたら、よくないのは、「この世を」の「を」、「歌声」の「声」、「悲しい」の「しい」、「鳩よ」、「嵐を」、

この後一番肝心な「清らか」とか「戦い」、「水を汲みに行くのも」、

「命がけのこと」特にここは一番決めなければいけない、そうでないと「インシャラー」に入れない、そのへんの迫ってくる描写がまだまだ足らない。メロディーとリズムがとりやすい原語があって、歌詞で表現する日本語があるのです。

 

 

ーー

 

「アドロ」

 

原曲の方がスムーズに歌いやすい曲。歌詞がわからなくたってこの曲が成り立つかどうか。それと「アドロ」のところからもう日本人と感覚が違うので、向こうの人たちの感覚に入るためのいい教材。だから日本語からやるのは難しくて原語で練習しておいた後に、最後に日本語にしてどこまで日本語に近づけるか。フレージングの練習にはひじょうによいでしょう。

最初のAはいいけど次のAから乱れる、「優しい言葉」の「言葉」一つでも、「突然私に」が難しくてここで大体、失敗する、「死んでもいいわ」からは誰でも成り立たない、何かしらやり方を考えていくしかない。大抵はボリューム落として違う形でまとめるように日本人はすると思う、

欧陽菲菲みたいな人でないと難しい。日本人の感覚とは違ってくる部分があるのです。大きな展開になっているので、歌を大きくできるのであればしてください。

 

 

ーー

 

「ジェルソミーナ」

 

音楽的で情感もあるが、ただ日本語をつけると大曲になりがちです。布施明的にドラマチックなやり方もある、カルメン・マキは、あれだけの声がありながら抑え切ったところで処理しています。抑えている面ではいいが、フランス語の方が構成があまり聞こえなかった、日本語は構成が出てしまうとむしろ難しくなるところまで抑えられていました。

「遠い日の」から成り立っていて「あの道をこの道を」もよい、「愛の幸せに」そのままつながっています。「果てしなく」は落ち着かなかった、

「遠い日の」のペースでそのまま終わるなら一つの方法だった、

それが入ってから同じ「愛の幸せに」もドタバタしてしまう、

最後の「果てしなく」は元に戻ったが、「果てしなく」「続く道」「彷徨う旅路」三つそれぞれ違うように聞こえる、もう少しやり方があるのではないでしょうか。

課題曲レッスン カンツォーネ(8) 41〜100 19172字

課題曲レッスン カンツォーネ(8)  41〜100    

 

ーー

42.恋する瞳

43.別離

44.待ちましょう

45.ルナ・ロッサ

46.タンゴ・イタリアーノ

47.ギターよ静かに 

48.パローレ・パローレ

49.恋のジプシー

50.ナポリは恋人

51.涙のさだめ

52.愛の詩

71.フニクラ・フニクラ

76.悲しい運命

77.君を愛したい

98.死ぬほど愛して

99. ラ・パロマ

  

 

ーー

 

コメント

 

 

42:恋する瞳

 

悪いところを目立たせない、最初から最後まで全部、真っ直ぐな調子で二つずつつないだ構成、そこで失敗することはない一つの歌い方です。

音の流れで声を置いていくので楽器的です。判断がつかないようだけどそこに何か入れていかないといけません。

 

恋する瞳。1~2つないで3崩れそう、4なんとかもたせて形が決まってきて、1~2と4~5が全く同じなのは日本語詞ではよくないもだが音楽的な耳で聞くならもつでしょう。

3と6が少し違うということ、問題は、Bで、バタバタせずとりあえず処理して、A'で戻る。14からのBは最初のBよりは大きさがぶれてきています。より大きく見せようというところに伴っておらずバタバタ感が出てくるのです。

 

18のA'でほぼ最初と同じに戻り20は3、6とは違う処理が出てきて、A''は典型的な上げて上げてちょっと上げて真っ直ぐ伸ばすの繰り返しです。すると構成的に高めていくとか抑えていくとか何か変えていかないと何もないです。

 

何もない歌い方もあり、です。テイスト。日本でそういう歌い方でも理解してもらえるかです。特に日本でシャンソンカンツォーネ、英語で歌っている人の方が、理解しないかもしれません。楽器の人で静かな曲や暗い曲が好きな人なら受け入れられることもあるでしょう。

 

1~6、6の後半の声のひびきでやらないと、力入った分声の流れが悪くなります。6は低いのもあってひびきのところでとれているが、他は語尾が全部開いています。

1だけ。「Non lo so」はまだいい、「che cos’è l’amor」動きが出ていないです。

「so」「mor」直線的になり過ぎです。

「Non lo so」だけ、「so」を突っ張らない。まだ力が入っている。

「Non」よりは「lo」か「so」、あるいは「so」で切るか。「Non lo so」の呼吸によって次が決まります。1~3まで。日本語で。

 

体と呼吸が伴っていて余裕があるのは、最後のところだけです。構成的には自動でいいのです。7から。10、7~9までつないだものを刻んでいくので、7~9ですごく拡大する人もいるし、抑えつつ盛り上げていく人もいる、イメージをはっきりつくっていきましょう。

踏み込みがなく、表面を撫でているだけです。

 

「lascerai」母音が開いて集約されていないです。日本語で。4つ5つの配分が完全に同じ、どこか出さないと。言葉の問題、母音の共鳴の統一感の問題、

「甘い」、「蜜よりも」の「り」「も」、より鋭く深めにとらないと安定しないでしょう。

ボリューム感やメリハリが出ないのです。

 

 

 

ーー

 

43:「別離」

 

BからC、6行目から7行目の流れ、方向、展開はいい、17から18、19も条件や細かい場所は違うが同様です。それ以外は、全体的に高音で突っ張っていたり流れを失ったりしています。

方向や展開がすごくはっきり示されている曲なのに、方向、展開、構成が見えにくいです。

日本語詞でもすごくわかりやすいです。それを歌い手がもっとはっきり伝えていくことが必要です。あとは最後どう終わっていくかでしょう。

 

6、7、8は音楽的に合っている、9、10、11のフレーズのつけ方や感覚とか、2、3、4は切れ過ぎている、1、2と3、4を一言で言って終わらなければいけない、逆に9、10、11はもっと差をつけないと、盛り上げておいて11で落とす、歌詞は同じですが、役割が違います。

 

日本語はうまくついている、「これでもう終わりなの あなたとの愛の暮らし」これで一つ、「明日からは」からメロディーも変わり、トップに入る、「何もかも」で切れるはずなのですがこれを引きずって「あなたの匂いのするものはみんな」までもって「捨てましょう」、本当にうまくつないでいます。

 

「明日からは」から「捨てましょう」までつながる、歌詞がうまくついています。

「愛の暮らしを」で切れた後に「涙も流さないで想い出と別れるのを」までやっておいて「諦めて」で落として「別れるの」で落ち着ける、こんなにうまくつかないです。

逆にそのままとっていってからイタリア語を当てはめた方がいいくらい、メロディーを考えて歌詞がついています。

 

メリハリを日本語の意味でとって歌った方がいいということです。

1~4、「se adesso」と「lungo」がピシッと締まらないといけないです。

9~11、1番のエンディング、伴奏でももっとメリハリつける、

11もっと詰めて切り込んでいかないと終わり切れないです。

 

 

 

ーー

44:待ちましょう

 

このテンポでもゆっくりたっぷり余裕をもって歌わなくては。体や感覚に合わせるならさらに速くしましょう。でもあまり速くしてしまうとこの歌自体の動きや練り込みとか表現が飛んでしまい単純な歌になってしまいます。

 

特にA、A'、最初のところでどのくらい言葉や情感をおさえておいてきれいなメロディーで歌い上げるかでしょう。サビ。2番からの転じ方、Bメロのため、たっぷりさと余裕、メロディーラインをいかにおくか、ていねいな処理が必要です。

最初の出だしは問題なく、展開するに従って、もっと何かしていかないとなりません。

この歌の味を出していくこととていねいさを。

 

1番より2番、3、4より17,18行目が乱れています。20、21もそう、Bもそう、同じにできなくはないはずのところ、それから10、24をどう締めるか、あとは最後26、27、稼げるところでスラっといってしまって、何もなく終わってしまいます。

艶や捻りが欲しいです。メロディーで出す人も言葉で出す人もいます。

あとは展開。誰でも歌える歌だから逆に難しいのです。

 

Bから。弾み過ぎ。もっとたっぷり。薄くなってしまう、8「Tornerai da me」だけ。「rai」「da」「me」をどうおくか。「da」を抜くなら「me」がそのままではいけないです。

両方が同じに聞こえてしまうので、どちらかに音色なり色を与えた方がよいでしょう。次がやりやすくなります。

その先まで。ここも2本くらい線があってその兼ね合いです。入り方は悪くないが、その後ただ1本の線が伸びているだけです。

 

8と10を対比させてその違いを出していかないと、9も11も同じように聞こえてしまうと8から11までつながってしまいます。やろうとしていることに声の質がついていない、肝心なところが細くなってしまい展開できない、ここだけと思って2、3度下げて。

フレーズの線で描こうとしているが音色をどこか伴わせないと、この歌の場合は厳しいです。

 

「花びらも色褪せ」に色が出てこないと、その後もたない。フレーズの線で勝負するならCで勝負して、Bあたりは余裕があるのだから何かしら濃くしておかないとBもCもワンパターンになります。そこでもう2、3色、より濃い色がどこにつけられるかを研究するのです。

C。14はいい、そこに降りてくる前の12と13でもっと大きな表現をつくっておかないと12、13と14が同じになってしまう、音域がきついと思うのですが。もっと大きな器と体をもったところで、14が今くらいで降りれば、かなり自由度ができてくるでしょう。

 

14の体しかなければ現状、厳しい歌、いろいろやり方はあるでしょうが。盛り上がる歌、体も使わないとサッと行ってしまいます。ギリギリでやっているから2番が総崩れです。

この歌のよし悪しはたっぷりと歌い切ったか。テンポを速くすればたっぷりとはなりませんし、ゆっくりすれば体がついていかないし。プロの人が歌おうとするほど、すごく難しくなるでしょう。むしろ初心者でシャンソンを初めて歌うにはお勧めの曲、曲がいいから成り立つ。誰でも歌えるゆえに、歌い手の成長と共に難しくなる曲です。

 

好きな人は多くてもレパートリーにする人はなかなかいないでしょうか。日本語もすごく細かく置いていかないと何を言っているのかわからなくなります。

歌が歌えるというのはこういう歌が歌えることです。

 

日本語。「日はすぎて」「心は沈む」「すべては」おさえられない。下げて。そのくらいのキーだとフレーズが安定してくる、幅があれば「いつか胸に帰る日を」本来ならどこかで凝縮しなければいけないところを流れても通ることは通る、幅があるのだからどう使うのか、です。クラシックだと張ってしっかり歌う、ポップスではその必要はないのですが、どこかにより凝縮した方がいいでしょう。

 

「心は沈む」も「ず」だけが問題になる程度です。上も同じ、上だから出ないのではなくてある焦点に対して集める作業がいい加減になって線がばらついてしまうから聞き苦しくなります。マイクがあるので、小さくても裏声に回していても歌としてはもつでしょう。

ただそれを他のところとバランスをとろうと、弱い方に合わせる、それをやってしまうと口先だけのうまい歌になってしまう。欠点はなくなるけど長所も無くなるのです。

 

本当は体と一致させて、体を使おうとすると押しつけて引きずって重くなったりするから、練習ではそういうことをやりつつ、本番でうまく体が働いて自然にそうできるようになればよいのです。

「待ちましょう」二つ目重くなり過ぎ、どこかを生かそうとすればどこかが狂ってくるから、より強い線が出てくればいいです。

 

「小鳥も恋しい」「古巣にもどるように」細い線でつないだ方が言葉は伝わるけど原曲のよさが失くなります。最終的には自分が判断していくしかないです。

「待ちましょう いつまでもあの人を 待ちましょう」が美しいメロディーに聞こえるか、声の力でイメージを与えられるか、くらいに絞り込んだ方が、よいでしょう。

あまり細かく解釈するより、楽に歌えるし流せます。ただ、そこで勝負できなければ、「あの人が」からのところでもう一度盛り上げるとか。

 

曲によるのか何によるのか、明暗がすごくわかれました。

順に悪くなる、最初はかなり完成度高く、次で少し落ち、3曲目まではそれなり、4曲目を経て、5、6曲目になるとカラオケの人でも、もう少しなんとかするくらいに落ちました。

 

自覚にある通り、BメロからAメロの並びに比べたら、Aメロは全く同じなのに頭のAメロは濁っている、いまいち重い、動いていない。

日本語の方、「待ちましょう」「小鳥も」「恋しい古巣に」のところ。「花びら」の入り方もあまりよくないです。

本当はここでこの曲を成り立たせなければいけない、この展開の差をきちんと魅せていくということです。

フランス語の方が歌いやすい、しっくりくるし一つにまとまりやすい、日本語は逆にその対比がうまく出れば、まとまるというよりは、華やかというか歌詞が生きてきます。

 

似た声は使えているのですが、こういう曲になったときに、メリハリというより呼吸の動きみたいなものが少しベタついて、飛んでこないです。

わざとゆっくりしっとりめにするのもよいでしょう。一度、とことん、もっとしっとりにできると思う、スタンスをいろいろ変えられる歌です。

 

 

ーー

45:ルナ・ロッサ

 

これを軽く歌えるのはビルラくらいです。

イタリア語の最初の入り方から1、2行は、それでこの曲のすべてを表せるくらいにできています。3、4行目の各行の入り方、これはいつも一緒でちょっと高くなったところの処理が雑になる、低いところの太さとか安定が出てきているから尚さらバランスが悪いです。

5行目の最初の構成、というか息。

8行目はいまいち落ち着かない、12、21行目も同様。9行目から構成が若干乱れてきます。13行目で立て直した、最初ほどはよくないがとりあえずもっています。

 

日本語に比べたら大分、安定しています。でも16、17行目の後半、そこから18行目に入るところの流れ。この世界観というのはある種の美しさ、声が軽かろうが重かろうが、月に想いを寄せている、それが出るかどうか、21の最後を除けばそれなりにまとまります。

22、23はよい。24、25も真ん中のつながりを除けばよいでしょう。Aメロはきちんと押さえている、それが押さえられれば大体この曲はもちます。

26から、イタリア語でどうかと思うところが日本語になったときにやっぱり問題。

最後30の締めくくりもイタリア語でそれなりに押さえていて流れまでは出しているが、日本語では息が短くなっています。

 

一つの曲でも後半の方がだめになっていくのは、集中力だったりメンタルの問題が多いが、この日本語では、最初の「眠る街~バラ色したお月さま」とか最後の方「夜のみそら高く」は問題ないが、「微笑むお月さま」「愛の女神よ」の処理、意図的に変えているのだけど、逆にまっすぐでいいと思います。

曲の完成度が高いからあまりいろいろやる必要もないのです。この当時の日本人のプロの歌手から、音楽的なこととかリズムとか声の質というよりは、日本語の処理を学びましょう。

日本人の場合は、それがすごくていねいなので、そこを少し切り離してやった方がいいかもしれません。日本のあるレベル以上の人たちはそこで聞いてしまうのです。

 

 

音色のところで展開した音楽としての曲の上に、日本語をつくり込んで置き換えて入れるような、二重に難しいことを一流のプロはしています。そちらを重視するがためにベースの部分がいい加減になっているというのが、日本のプロの特徴です。

両方が伴えば一番よいが、伴わないとき、聞く方はどうしても歌詞で聞いてしまう、言葉のていねいな扱いで聞いてしまう、あまり音楽とか音色を聞かないで判断するところがあります。

 

「ルナロッサあの人の心は」問題ないでしょう。

「今も変わらずにいるでしょうか」後にいくほど呼吸が使えていない、一曲のなかでもそう、体力とか体のなかでの固め方、歌のなかで固まっていってしまうとか自由に展開できなくなってしまう、10人中8人がそう、何年経っても、プロでも。

 

「たとえ悲しみで」このあたりから、呼吸のせいなのか弱さが出てくる、日本の場合はそれでよかったり逆にそれで、感情ではなく体や声の弱さなのですが、それが案外受けたりするからです。クラシックやミュージカルのあるレベル以上では通用しないでしょう。

「仰ぐ空」で立ち直っている、「星たちも」語尾が気になります。「おールナロッサ」、「おー」は日頃使わないしどう感情移入していいのか難しい、英語的な処理をした方がいいのでしょう。かすれるのは気にしないし最初からかすれている人もいるが、そうじゃない邪魔なかすれ、音楽を邪魔するようなかすれはなくしましょう。

「みそら高く」。「微笑むお月さま」流れています。締めなければいけない「愛の女神よ」、本当は呼吸たっぷりにしないといけないが、急いでいる感じです。

 

 

日本語。比べたら流れが、呼吸がイタリア語のときのようになってきている、よくなったところがそこで、悪くなったところは、流れが出たために「哀れんで」の「わ」とか日本語が二つ三つ雑になったところ、「あの人の心は」の「は」ふらついたり。変わらずよくないところは「今も変わらずにいるでしょうか」の流れです。

弱々しかった「ほんとのことだけを」は、よくなってたっぷりになってきました。

「微笑むお月様」流れていたものが、「愛の女神よ」への28、29のフレーズのつながり、流れの処理が、同じ最初の7、8はまだ余裕があるのか変にがたついている、この処理の仕方です。

 

注意するのは「ほんとのことだけを」クレッシェンドのかけ方、このメリハリ、こういうクレッシェンド、デクレッシェンドをあらゆるところでかけていって、大げさ過ぎるかと思うくらいで処理するように、普通に歌うとつかないのでレッスンでは無理に大げさにやることが多いです。

これはきれいな曲なので、あまり大げさにすると壊れてしまうが、そうやって入れていかないと今度は本当に流れてしまうのです。

 

これは音楽が入っていて、イタリア語の方で流れはつかんでいるから、課題としては日本語をクリアに処理するということでいい。少し強めに大きめに、「おールナロッサ」から。つながっているけど二つくらいの変化しか感じられないです。あまり細かく変化を入れてはいけないが、練習では、一行で二つは入れていきたいです。

あとが流れています。「みそら高く」棒読みと同じ、「ルナロッサ」も切れていない、「いつでも」ちょっとは入っているけどお客さんは、そこまで汲みとれないです。

 

 

体で押していくのは一つのベースになるけど、本当に調子のよいときは押さない方がいい、一本棒を引いた引きずったような形になってしまうと、軽さとは逆のことになります。

意図的にエンジンをかけないと声がとれなかったりつながらなかったりするから、ある程度動き出すところまでは、アクセルふかすのです。けど、ふかし過ぎるとうるさいだけです。

 

「愛の女神よ」頭のなかで複雑に感じているから、そのままそれが複雑に出てしまいます。「お月さま」に聞こえない。「微笑むお月さま」から「愛の女神よ」転じて切り替えなければいけないです。そこのフレーズをつかむことができたら次も全く同じです。

「夜の」でそれくらい転じるのは構いませんし、そういうメリハリはあっていいが、それなら「私のお月さま」でもっとあるいはその前二行でもっと大きめに動かしておかないと「夜の」だけが目立ち過ぎます。

 

「教えてくださいな」「あの人の心を」「私のお月さま」全部がクレッシェンドだと、天才的な処理力がない限りは相手に読まれてしまい、このペースで全部いくんだ、と興味を失われてしまいます。

クレッシェンドする、弱くする、切って弱く出る、さらに強くもあるけど強さは慣れてくる、特に語尾を強くしていくともたれていく、演歌もですが、力がないと最後ビブラートかけて大きくして歌っぽくつなげるけど、結局、歌詞も届かなくなるしメロディーもリズムも引きずられて死んでしまいます。

練習でやっておくのはいいけど、そのなかで最終的に取捨選択していかなければいけないです。

 

 

「ルナロッサ」から。「今も変わらずにいるでしょうか」言葉として一つになること、

フレーズとしてはこの二つ、元々無理につなげている部分はあるが、構成をきちんととらないと「いるでしょうか」が歌わされています。

「たとえ」から。日本語だと「どうか」の置き方が難しいです。

 

「ほんとのことだけを」で弱々しくなってはいけないけどここでメリハリをつけたところを「どうかルナロッサ」でどう受けて落とすのか。「仰ぐ空の」から。「仰ぐ空の」は安定している、ただ、この後のところ、メリハリを強くしてはいけない。しかし弱くしてしまうと「震えます」が過ぎるから、しっかり歌わなければいけない。

本当は「仰ぐ空の」からはみ出さないなかで処理した方がいいです。

二行はそれでいい、完全に立脚している。

本当は1割くらい、力、体、ポジション維持があれば、あと二行も平行に立ちます。

 

「夜のみそら」が「みーそら」にならないよう、そうついているけど「みそら」と聞こえるようにしないと意味がわからなくなります。

体と音色のところで一回全部メリハリつけて歌ってみて、次にそれを忘れてなんとか日本語処理に集中してやって、そのうち体に入ったときになんとか処理できるでしょうという歌です。レッスンだけとか外で自由に歌ってだけとか、カラオケだけとかで完成できるようなものではないです。ステージはとても乾燥しているもの、埃がないならよしとしましょう。

 

 

 

ーー

 

46:タンゴ・イタリアーノ

 

三つのリズムの変化を出せればいいのですが、日本人にはすごく難しくて、課題としても、なかなか仕上がらないです。日本語にすると簡単そうですが、結局、歌謡曲風に変えてしまって、リズムのことまで手が回らないのです。

はっきりとリズムを出さなければいけないところはできていない。

リズムが聞こえたところは11、14、19、26、切り出しや展開ではないようなところにはリズムが流れているから、何もやっていないのですが、入っているとは伝わるのです。

そこのベースのところが日本語でも言えたり他の展開のところにつながれば、案外二つのリズムはこなせそうです。

 

10、18、もうちょっと出せるのでは。高低がついてくると難しくなるのか。12、20、12はきちんともってたが20は崩れています。13で立ち直って、14はよかった、13、14、15、悪くないです。16、23、出だしのところ、23はそれほど目立っていないが16はよくない、後半のところ、23はもっと崩れています。17は後半ガタガタ、24を見るとリズムがまったりとしてしまってうまく入ってこなくなっています。20くらいからは段々流れが平坦になっています。25、切り分けられているから立ち直るチャンスだが難しいです。26はよい、27、28はその流れでもっていて、29は締められていないです。最後30、共鳴に中途半端に届かないかす方というのは体が入っていません。

 

ミルバもよく聞けばかすているところはあるが、音色として通用しています。体や呼吸の深さの違いです。

日本語では「遠い海の」から無難にまとまって、細かくは「ふるさと」の「と」、「彷徨う」の「う」、「今宵も」の「も」、もう少し工夫を。

「おおタンゴイタリアノ」は悪くないが、構成から見るとせっかくその前に溜めるところがあるからもっと盛り上げる落とし方ができます。

「甘いタンゴ」難しい、ここはイタリア語にする人もいます。

「夜に」の「に」はよくないです。

切り替えて「風よ」からイタリア語ほど悪くないがつかえる前兆はありました。

「忘れられぬ」とか日本語の歌詞のつけ方を楽譜と変えてみた方がいいかもしれないです。「恋人」「イタリアノ」の処理、きちんとおさえていかないと。訳詞はうまくついていますね。

 

 

「風よ運んでおくれ」低めのキーで。少しずつ上げる。「風よ運んで」だけ。「風よ」低いキー、高いキー。低いキーでとれているひびきを高いキーでも。低いキーだけ。「ぜ」から「よ」にかけて音がなくなっている、「か」はあるのですが。キーを下げていく。「風よ、風よ」低、高。高いキーでイメージが高くなっている、音色が上に行ってしまっています。細くなっていっている、高くなるのは構いませんけど細くなってはだめです。

 

「ぜ」で上擦らない。上のひびきと同時に下のひびきもとっておきます。言葉で変わるなら「かぜよ」「かがよ」の使いやすいものでいいです。

ポップスは裏声からやらないから下からやった方が、女性のなかでもうまくいくタイプでしょう。以前やっていたことと同じことです。

 

それだと上下バランスが、5:5、これくらい低いところなら下を7くらいもっておいていい、あるいはなくてもいいくらいです。「か」「ぜ」別れないで同じ息の流れで。下から上げていく。2割くらい喉が広がってしまっています。

 

 

 

 

ーー

47:ギターよ静かに

 

リズム、音感に関しては、優れていて馴染んでいるのに、それに比べたら、とり切れていないです。どこかが外れているわけではなく全体的な構成の部分です。力のバランスとかフレーズのつくり方が、リズム、音感が完全に入っていたらそうとらないでしょうという矛盾がいろいろ出てきています。

 

16行目L'oraも問題あるがフレーズの真ん中あたり、18comeのあたり、20後半、21noiのあたり、23suo seno、24suo、25、例えば25フレーズを二つおくとしてどういう共鳴をおくか。

この曲ではやたらと共鳴を使っていて、ひびきで伸ばしてやっていっているからでしょう。

 

確かにニコラ・ディ・バリの方がスケールが大きく、シンプルに見えるけどすごく大きな感覚をもって歌っているので、響いて聞こえるかもしれないが、違います。それはリズムと音感でもたせていて、サビは思い切り歌っている感じにとるのかもしれないが、サビに関わらず頭からやけに共鳴、ビブラート、伸ばしていますね。

 

柔らかいひびきのところでやっているから子音、この曲になると相当、言語の読み込みをやっていかないとうまくいかない、もうちょっとイタリア語を大切にと、聞こえる感じになります。音感、リズム感と言っていいのかわからないが、合唱団の人たちがロックとかレゲエ、サンバ、ボサノバを歌ったときに違うと思われるような感じが、この曲に関しては見えるところでは評価します。

 

 

 

ーー

49:恋のジプシー

 

日本語の歌詞はうまくついています。この頃の時代と曲調とも一致しています。Bの構成、組み立て、展開が1、2番とも引っ掛かる、そこからCへの見せ方が課題。クラシックの人が完全に歌っては、おもしろくなくなってしまうような歌です。日本語になるとなおさら難しい。

「忘れていたはずの」「体が寒くなるほど」「胸がふるえる」歌詞がうまくメロディーについている割に、それを活かしていない、普通に歌えばもっと素直に乗っていくのに邪魔しています。

 

男性が歌うならイタリア語でないと難しいけど、菅原洋一さんのような女心の歌い方というジャンルにもっていけば。演歌にはならない心地よさはあります。

それとフェードアウトしなければいけないところ、クラシック歌手が苦手です。

リズムというよりフレーズの動かし方に癖がある、それぞれの分野にちょっと慣れていないと不自然になってしまいます。

 

表向きは捉えられているけど、例えば「notte」で伸ばした場合それを受けてどこなのかが見えないです。説明していると論理的に数学的になってしまうが、自分でよくわからなければ昔は楽譜に色を塗ってみたり線を引いてみたり。

「Soffrivo,soffrivo」は「恋なのに」、「Piangevo, piangevo」は「胸がふるえる」、

日本語も繰り返せれば感じは出るけど日本語的にはうまくいかないからこうなっているのでしょう。

でも歌い手は、この繰り返したり韻を踏んだり、イメージのフレーズを頭にもって歌わないと原曲から逸れる、作曲者の意図とは違ってきてしまうでしょう。かと言って「恋」「なのに」を全く同じに歌ってしまうと日本語が成り立たない。

 

両方のニュアンスが必要です。徹底してイタリア語で歌っておくと日本語にしたときに何かの繰り返しっぽいニュアンスが残る、するともっていきやすくなります。気をつけて欲しいのは展開、どこに対してそこはどうなるのか、大体、決まっています。

高い低いよりは、強い弱いとか、弱い強いとか、同じとか。大きく言えば、ABで一つ、CC'で一つ、の曲です。メロディーからだとCで歌うしかないです。

 

たとえば、裏声とか高い声をマイクがあるからこそ可能な表現を覚えていくには向いている曲、真っ直ぐ歌えばハスキーになったりうまく動かなかったりするところ、少し下げれば楽に語るようにいけるがそうするとCとC'がもったいない。

声の完成度がなくてもポップスは歌としては完成させられる、逆に正直に出してはいけない、低音は9割の完成度ですが高音は6割です、と歌に現れてはいけない、はったりをかけないといけないです。

 

 

Cはイタリア語ならそれくらいでもつかもしれないが日本語では全然もたない、伝わらない、Bでも相当なことを言っている、一言ずつ敵なのか味方なのか、それを感じさせていかないと

C「ああなぜなの」が。Bから。

「ふたたび出逢ったあなた」歌で押していっている、言葉が切れていない、引きずっています。

 

メロディーとしてはそうですが、一回切り刻んで歌ってみて、劇団ふうに。息になったりハスキーになるのは構いませんがコントロールができていない、言い切れてないところがある、それと歌も本当はこれくらいの呼吸が必要、ならして歌っているから特に後半の曲なんて全然使っていないけど、一曲歌ったらヘトヘトになるくらいに練習しておかないと、7割で人に伝えることはできないです。

 

難しければテンポ上げていい、長さはカットしていい、最初から。色が一色くらいしか出ていない、「傷つき」と「憎んだ」も違うはずだし、「元気そうね今も」はそこに入らない、「再び出逢った」は全く違う、ずーっと憎んでまた出逢ったなら同じ色になるけどそうじゃない、最初の二行は低いからキー上げて練習してもいい。

 

 

でも「恋なのに」はメロディーに引きずられて長くなっている、言葉で言うときにはそうならないはずです。Bは2番の方が簡単かも。この手の歌、シャンソンっぽいものとか、役者と同じように、手振り身振りつけてもいいから、この世界をなんとか出すということと、もう一方では音楽的に演奏のなかにそれを処理するということ、当然のことながら、演奏も入ってないわ言葉も入ってないわではできないのがあたりまえです。

 

でもできないけどその場でやってみたらそれなりのものになるくらいのところにしておいて残り3割くらい詰めていく、ほとんどの人が7割で完成と思っているが、そこがスタートライン、ここで7割やったらその後3割詰めておかないとあまり変わらないです。

 

Cから。フレーズの問題があるのでキーを下げて楽にとれるところでメロディーをつなげてみて。「ああなぜなの心はジプ」まではいいけどそんな「シー」では次にもっていけないし「風のようにさまよい」はよくても「何処へゆく」でパワーダウン、次の「心は」に入れなくなってしまう、そこで終わってしまう、減速してしまいます。

 

 

フレーズが小さくなっている、イタリア語で。二行とも「zinga」までいいけど「ro e va」のところからフレーズが回らなくなる、それと今のようにきちんと声を出して歌っていたらあとは音楽ができているものは自然と成り立つので、むしろそれを邪魔しないほうが成り立つので通せばいいだけなのですが、

 

そこまでの器がないから破綻してしまうだけ、でも破綻したと見せてはいけないからそこはカバー、テクニックというよりあくまでカバー、それをテクニックと思うと日本のミュージカルのようになる、カバーして、いずれできてくるまで待つしかないです。

 

この二行はイタリア語は入れている、日本語の方が入れていないです。フレーズを大きめにとりたい、後半減速しないように、日本語で。

「シー」「ゆく」発声とか発音の前に呼吸がなくなっている、体力づくりするしかない。

発声や発音をよくすることで同じ体でももっと楽に出せるけどボリューム感がなくなってしまうのです。一度しっかりつくっておいた上で、表現をしなければいけないです。

 

 

 

ーー

 

50:ナポリは恋人

 

明るさや憧れ、そういう色をどう出すか、それを抑えてしまうのはよくない、そういう点でイタリア語は若干押し気味、Bのリズムは難しい、そこから「Napoli」へ幸福感とか明るさ、チンクェッティも基本それほど明るい音色ではないでしょ。

向こうの歌い手は皆そう、でも表現で明るさや嬉しさや幸せ感を出せます。これだけの繰り返し、Na、me、fa。日本語、細かく言うと「サンタ・ルチアよ」の「チアよ」、「流れる」の「れる」、全体の流れや心地よさを奪っています。

 

「なつかしの唄」構成、こういうのが展開の勉強、その感覚が弱い、イタリア語の感覚がもっと日本語に入っていていいのに。「ナポリ夢のまちさあ歌おう春の唄」音色もできるなら明るくしていいでしょう。

口先だけになってしまう人もいるけど。イタリア語では目立たなかった「ゆれて」の「れて」、「舟を」、「やさしく」の「く」、「包む」、そこから「ナポリ夢のまち」詰まった感じ、「流れる」、「なつかしの唄」。同じ繰り返し、どんどん乗れていかないと狭くなっていく、暗くなっていきます。

 

歌い手や声の魅力が根本で問われる歌、構成と展開の勉強にはよい歌、そこに囚われ過ぎずそれを破る形。こういう歌が基本、だから難しいです。

 

2、3の二行、チンクエッティが2つくらいで歌っているところ、複雑で8つくらいに見えます。「ナポリ夢のまち倖せにあふれて」どこがピークで聞かせたいのか見えないと。流れて全部つながってメリハリが崩れています。

 

楽譜通りの構成なら「夢」強く「のまち」弱く「倖」強く「せ」弱く「あふれ」強く「て」弱く、それにイタリア語や日本語がついて若干動かせるし、あまりに単純な構成からずらす。

 

踏み込みとそこの流れをとらないといけないので、「夢」でつめ「のまち」でつめるとそこだけで二つになってしまいます。その上で「ナポリ夢のまち」で上げておいて「倖せにあふれて」で落とすのか、あるいは「ナポリ夢のまち倖せに」まで上げて「あふれて」で落とすとか。

 

 

ーー

 

51:涙のさだめ

 

ボビー・ソロイヴァ・ザニッキ。解釈の仕方、入れたいところ、勝負どころ、全然違う、いろいろとずらしています。

リズムやメロディーの問題もあるがやはり色合いをどう出していくか、どこを勝負どころにするか、全体にあまり詩や曲に囚われずに。

 

ヴォーカルの力はレコーディングでも必要、むしろステージングのように見えないから尚さら声の色艶が必要、逆にそれを出すことによって瞬間的によいとか合わないとか判断されたり聞いているうちに味がわかる場合もある、欠点は確かにあまり出したらよくないが、今の加工技術ならいくらでも隠せるし、ピッチも直せます。

 

ジャンニ・モランディは加工して高いところをピークとした声でやっている、曲としては特殊なアレンジ、しっかりして華もあるけど、発声や歌から考えると、この人だから許される表現でしょう。

それをそのままもってくると破綻します。

 

最初の一行が決まらないと、その伏線の上に変化させていけないのです。2~4、構成がよくわからない、6の入り方もどうか、7も成り立っていない、8~10toccaあたりまでは構成が見える、a teはどうか。11~14躓いてガタガタ。

 

15zingara、ジャンニ・モランディは、ここだけ聞かせるための構成、歌い方なので逆に難しい、声の張りがないともたない。しかもそれがあまり正統派だと引きつけられなくなってしまいます。18~19、後半も構成の問題です。

 

 

ーー

 

52:愛の詩

 

音域が広いので、特に女性はキーを下げると頭が入れない。

「恋は」「乱れた」、そこはマイクでカバーするとして「恋は」から「はかなく」のあいだ、「悲しみに」から「むせぶ」、曲にないブレイクというか詰まりが日本語では気になります。流れも4から6、Bも8~11で畳み掛けなければいけない、11のなかでも4、5回、まともにできればどんな歌も歌えますが。

 

2番に入って、パタパタ聞こえる。12後半、13最後、14から15、16から17へ流れ、20何か変化加えたのはわかるがそれがわかるのはあまりよくない、強弱のつき方と単語の流れが一致していない、22とかところどころちょっとした工夫は見られるが、それでカバーできているよりは根本的な展開、単語とメロディー、流れがうまく一致していないです。

何もなかった23、24が普通によく聞こえてしまうくらいバタバタしていました。

 

日本語は「恋は」から「消え」のつながり、「悲しみに」「むせぶ」のつながり、「恋の終わり」の「り」、この歌が聞こえてこないです。

「イオ・ティ・アモ」から展開して歌らしく聞こえてくるところが、「生命かけて」の「て」、「泣くだけ」の「け」、日本語だと開いていき目立ってくるのは、その前でもっと使わなければいけないところで使ってないから余っています。

「愛の調べ奏でる」から「聞きたくない」きれいなメロディーがつながっているのをどこまで邪魔しない、ガタガタにしないか。これだけ音域があるとほとんどの人がバタバタしています。

 

Bのフレーズ。8、9。9を三つにすると二つ目と三つ目の流れがわかり難いです。8、9だけで終わりのつもりで体使って。Io ti amo、最後のsaiも、膨らまないとフレーズが成り立たない、8、9の構成ができなくなる、特にIo ti amoは強烈に残さないと10のIo ti amoが全然効いてこなくなります。もう2、3割は欲しいところです。10、11。

 

ma、しかし、入るのが遅い、息が吐き切れて吸えてないです。11が9と同じくらいの感覚でもっていければいいけど2、3倍くらいのもたつき、長く聞こえてしまいます。あまり歌い上げず、9で目一杯展開しておいて11でその展開を匂わせたまま畳み掛けてさっと切るのです。

 

本当は8に対して大きく9、10に対して大きく11、くらい単純にフレーズが構成できないと、複雑になってバラバラになってしまいます。最初から。3、4の流れはいいけど1、2、変な切り方、diventaのtaでpoesiaが重くなってしまう、むしろnotteまでで一つ。まだpoeが目立つ、できるだけさっさと片付けます。

 

saràは9のsaiのように離しておいて次に入った方がいいです。saràで伸ばすけどunaで待ってはいけない、こういうところが遅い、伸ばした分挽回するくらい早めに入る、素早いブレスが必要です。

andata viaの方が目立っている、daの方にした方がやりやすいでしょう。faiで膨らますのはいいけどもう少し前のところから膨らます伏線を引いて早めにボリュームをとっていった方が。このように各行でやってから、次は二行ずつ、三行ずつ。

 

 

ーー

 

71「フニクリ・フニクラ」

 

「行こう行こう火の山へ」。それをかすれないで。成り立っているけどそれを1時間やると喉がかすれるリスクがあります。「フニクリフニクラフニクリフニクラ」、

最初いいけど最後の「ラ」が悪い。別に落としたり弱くするわけではないです。

「ラー」だけ。それが表現として幼い。

 

「だれも乗るフニクリフニクラ」、このあたりは日本語でどう伝えるか、言葉でどう伝えるか、言葉とリズムをどうするか、メロディーをどのくらいの感じで切るかを考えましょう。

1回部分的に完成させてみて全部くっつけたら、部分的な完成度は落ちてくるけれど、そこで落とすものは落としてみましょう。それでやっていかないと、元気よく叫ぶだけの歌ではあるのですが、それだったら誰でもそう歌うというくらいで終わってしまいます。

 

ーー

 

77「君を愛したい」

 

最後の「心よ」。芯が見えない。そこで歌うとしたらもう3割くらい落としてみてひびきをまとめるか上に上げるか、胸で押してもいいけれど、かすれているなかにも芯、線が見えていたらそれでフレーズが回るけれど、結果的に雑になってしまう、それがすごくパワフルにもっていった上での雑だったらいいけど、これくらいだと逆に中途半端、ていねいでもないようになってきます。

 

この歌はゆっくりなので全部聞かれてしまう部分があって、メリハリとか間の開け方とかではなく、声そのもので伝えていかなければいけなくなったときに、そこでやると「心よ」も不明瞭、「よ」に聞こえない、「お」で歌っている部分もあるし、「心」も難しい言葉ではあります。「アモレアモール」、本来ならビブラートの数まで一緒でなければいけない。

 

「モ」で若干潰れてしまう。最初の「モ」はまだいいけど2つ目の「モ」はもう展開しなくなって押し出してしまっています。多分今仕上げるならそこに逃がしてみて、ひびきが外に飛びやすいところ。

ハスキーなヴォーカルでは100%出して勝負する人もいるけど、基本的に歌は7割くらいでもう3割くらい大きくできる余裕がどこかにないと、限界が見えてしまうと興味がなくなってしまうのです。

 

ーー

 

76「悲しい運命」

 

体の表現のところでも若干顎が出たり喉首が緊張したりしてよくないけど、出てくる声もそれにリンクしています。「離れないでいつまでも」鏡見て。ストレートに出てない。言葉で言ってみて。「離れない」の「はな」と「ない」はよかった。

一番悪いのは「も」。今のところだとあまり喉にかからないけど「も」のところでかすれてしまう。

 

「あなたと」、「と」も殺されている。上のひびきでフレーズはできているのですが、これで行ってしまうと最後まで見えてしまうというか、このフレーズから抜けられなくなって、全部がその歌い方になってしまうのです。

 

最低限の要素は満たしているから成り立たなくはないけど、それがそれ以上に展開して何か聞こえてくるのかというと、結局最初の3行のまま最後まで行ったと、ここまでで見えてしまう。そういう面で「も」とか「よ」とか、あるいはこの当時の歌い方で言うなら「い」などがきちんと響いたり入ったりすると、多分変わってくるでしょう。

フリとか表情をつける前に一番正しい姿勢で発声からレコーディングだと思って歌って、そこで仕上げておいた方がいいです。

 

 

ーー

 

98:「死ぬほど愛して」

 

 「アモーレアモーレアモーレアモーレミーオ」

 ふらついている感じにならないように。

身体は使うけれど歌いすぎないようにすることです。

 アが全部裏、ミーオのミだけ入れる感じ。

特に4つ目のアモーレは4拍目なので強くできない。

 

C#ー、D#ー、Eー、のように音が聞こえるなら、

これ以上のことはやってはいけないのです。

そこからはみ出してやるほど対極的になり、

こんなところで盛り上がったら最後までいけないのです。

 

ひびきで歌う、あまり日本語のなかではないことです。

「ンーンーンー ンーンー」

C#ーD#ーEー D#ーC#ー、

 ハミングで広がり過ぎないよう少しずつ移調します。

これも音楽、発声練習のようでもあるけど、

歌のなかに、こうしてたくさん入っています。

発声練習とみると情感を入れないのですが。

 

「ンンーンーンー」

GC#ーD#ーEー、ハミングで

身体を大きくもっていかないといけません。

そこで一音一音にしてしまったら、言葉をつけてもバラバラになるのはあたりまえです。

きちんとフレーズ入れて、このなかに言葉とかリズムとか

メロディとか処理しないと、収まりが悪くなります。

 

「アモーレアモーレアモーレアモーレミオ」それは歌っているだけ。4回繰り返しているだけ。歌詞ではないとはいえ愛の歌、そのテーマ。技術的には「きみよ」の「み」「よ」の処理。でもそこが決まらなくてももっていく方向はいろいろあります。

 

全身全霊、愛の歌に聞こえない。表現力の問題、ドラマと同じ。これも映画の主題曲ですが、映画の中身やそのシーンのためにつくられたわけでもないです。イタリアでなくてもいい、このシーンのあるところにセットすることです。

歌い手は役者ではないからこれを実演するわけではないけど、聞き手はそこまで感情移入できなければよい曲とは思わないのです。

 

なぜ「やさしきみに抱かれるとき」に「悲しみ忘れ愛の涙」なのか、イタリア語で歌われたりするから内容が具体的にわからなくても、聞いたときに、ストーリーがわかるのではなくてストーリーのなかのバックにある感情みたいなものがわかるくらいの解釈はしてこないと通じません。

 

「永遠にきみよいとしひと」2つ繰り返している、それは繰り返す意味があるからです。1つで終わってもいい、2回同じことをいう、2回同じメロディーを使うというのは、すごく大きな意味があります。

本当は3回4回5回やりたいけど、くどくなり過ぎてだめになるから2回にしています。たった2行しかないから、そこに全部入れて全部つくっておかないと、この2行の小説を書かないと、伝わりません。

 

どうしても実感がわかなければ本当にストーリーを書いたらいい。昔は習字で歌詞を書いてみたり、400字3~5枚、10枚で物語をつくってみたり。そこを伝えないと、お客さんには関係ない話なので、誰かの歌を自分が紹介しました、という、ただのインフォメーションになってしまうでしょう。

 

 

ーー

 

99:ラ・パロマ

 

もう少し物語的に処理ができます。最初の1行だけ。

「わが船ハバナをたつとき」呼吸と流れが3割くらい足らない。まだできそう。やり過ぎたとき、仕方なく納めていくけど、最初に配分して7割くらいでやっていて、それは構成としてはいいけど、でき上がってないのにそのまま行ってしまうと全部が7割の歌になってしまいます。

1番を歌ったら最後までそのままか、もしくは崩れてしまうか、どちらかになってしまうでしょう。

 

ここのオーディションなら2行目でストップをかけます。最後まで聞いても最初の2行とあまり変わらない。最後の息がもっていない、「ハバ」もそう、結局流れてしまっています。流れをつくらなければいけないのです。

ゆっくりやっていくとトレーニングにはなるけど、当然歌にはならなくなって、今の体だと、そのフレーズのイメージだと「わが船」のところで半分くらい息がなくなっているから当然無理です。

 

「わが船」だけでの練習もあるけど、もう少しやらないと展開も何もわからないから、もう少しテンポ上げるか声の量抑えるか。フレーズというのは、全身使えというのは、大きな声出すとか長く伸ばすということではないでしょう。

そうしてしまうとそこが全部見えてしまうから、角度とか動かし方、鋭さ、そういう方。ポップスだからひびきで聞かせるようなことを考える必要は全然ないのです。大きく、長く、伸ばす、は無理、やっていけばいくほど、後が大変。

 

 

「わが船ハバナをたつとき」このなかで起承転結ちゃんと起こす。「わが」でもたついているから「ハバ」で切り替える気力が半分ないです。選んでいかなければいけない、「わが」の「が」を聞かせていくのか「ハバナ」か「たつ」か、でもそれを全部同じにもっていってしまうと結局全部殺してしまう、せいぜい1つ、うまくいって2つ。

 

あまり複雑にしてもしかたないから、とりあえず最初の4行、2、2、2、2、でわかれて、1で何か起こして2できちんと拾うことです。1で起こすこと、2で拾うこと、それが4つできれば、メリハリはついているけれどもこの4つが同じ、並列になってしまっている、このブロック自体がメリハリなくなる、なので今度は1ブロック目と2ブロック目、3ブロック目がサビ。

 

ただ1と2を平行に置いても3がきちんと決まればそこまで必要ありません。でもこうやって起こして拾う、起こして拾う、をちゃんとやっていったら、同じ4つに見えてこの4つのなかにまたメリハリがついてきます。

 

 

今だとラ・パロマくらいは1~2ヶ月やれば成り立つでしょう。

実体験はなくても映画でも何でもそういうものをリアルに自分のなかに入れてきてそこから発しないと、今の日本の普通の日常生活のなかから、昔の歌は生まれないのです。

そういう時代でないと歌えないのかと言ったら、そういうものを見ているのだから本来ならそれ以上のことができるはずです。想像力です。

 

その上で、そんなことと関係なしに、どうやれば、自分で聞いてちゃんとできているなと感じたような、それを感じさせるリズムとか感覚とか声の出し方が違ってきます。全部は歌えない、どこを歌うのかを決めて、そこが歌えたら、前後をつけます。それ以外のことはそれができてから考えた方がいいでしょう。

課題曲レッスン カンツォーネ(7)31~40 10217字

課題曲レッスン カンツォーネ(7)      

 

 

31.リコルダ

32.あなたに口づけを

33.カタリカタリ

34.勿忘草

35.花をありがとう

 

37.マリア・マリ

38.オーソレミオ

39.ほほにかかる涙

40.イルモンド 限りなき世界

 

 

ーー

コメント

 

 

31:「リコルダ」

 

リは、徐々に解決してきています。以前、できなかったのができるようになると、イの方がはっきり通りやすいです。アの方は、てきとうにできてしまうから、本当は案外と難しいのです。イと言えているときは、縦に通っています。高音も共鳴も楽になるのです。

 

すると、イで練習した方が高いところも低いところもはっきりしてくる、できいぇくると入りやすくなってきます。アやエはどう出しても出てしまうから、浅いままで深まらない人も多いです。声楽の発声ですが。

 

ヨカント、イヨで入る。難しいのは、ト、開いてしまったらヨカントと聞こえなくなってしまうので、ギリギリ、音にする。そこでひびきにする、それが歌になるように、トと言ってしまったら、言葉と同じでそこで殺してしまう、ひびきになりません。

 

発声と歌は一致しないから、歌は歌で考えるのです。

人が聞くのは歌なのだから、発声がよくなっても何も言われません。

そこを一致させたければこそ、こういうフレーズの練習を入れるのです。

 

 

合っていると言うか完成度が高いとなるのには、踏み込みの問題。

歌うごとに、差があって、聞き込みの仕方なのか曲のパターンによる不得意なのか見えないのですが、踏み込みが足りません。

リコルダで足らないところです。音楽の流れの上で共鳴で曲が動いているところはあり、それで大体終わりなのですが、より、しっかりとした表現、そこからオリジナリティなり表現として優れていくのであれば、踏み込みが足らない。息の表現力。組み立て、高いところから低いところに下がってくるところが組み立てているというより、ただ音をとっている。

そういうところが言語と関係なしに出ている。

リコルダが歌えれば、どんな曲ももう少しなんとかなってもいいのに、中途半端です。

できないのは待つしかないから課題としてまたいつかやってみればよいでしょう。

流れている、小さくとっている。体は使っていて声はより絞り込んでいる感覚、1オクターブもたなくても。「cercherai fra le mani un'altra mano」最後のところのしつこさとか執拗さが足りないです。

日本人は嫌いですが、向こうはこれでもかくらいに重ねている。粘りに粘る執拗さ。

最終的にどちらを選んでもいいのですが、練習のときは向こうのを手本にした方が大きくなる。

 

「mano」がちゃんと入っていない。「cercherai」は7割くらいコピーできているのですが「fra le mani」からは3割くらい。「mano」が広がっている、絞り込んでしかもすごく強くして次に「ricorda」に落とせるだけの高さまでもってクライマックスをつくっておかないともったいない。

「dimentica」体の準備が整っていない、単に音をとって流れている。

2、3行目OK、6、7行目OK、10、11行目OK、13、14行目OK、のように各ブロックの前半OKで、後半崩れる、それは高めに上がることもあるのですが、前半で集中力とか体とか息とか声とか使っている部分が大きい。12行目がだめでも13行目は戻れている、14行目は同じにできるはずなのに14行目後半には2割くらい落ちてきて、多分次に壊れそうで15行目で壊れている。

練習するなら、14行目とか、「mano」も再度出てきたときに酷くなっている、

 

リコルダ。最初の一行、最後のricordaはまだいいが、最初のricordaは最初のリからくすんでいます。ricordaのリ、mioのミ。メロディー処理、4つがそのままつながっていると、それでしか聞こえません。リズムにメリハリをつけていかないと、そんなに感情移入するところではないのでそんなに動かしてもよくないのですが。

 

最初のricorda。ハミングで。そのなかに一本の線なり中心線をそのままricorda。コが落ちる。描いている線が上の線だったら、そらして抜けてしまったらだめだし、低いところでも、動き、リズムの元、動きがあってリズムをとっていく、リズムが決まったらリズムに支配されてしまうのですが、動きが自由度をもったところである程度動かないといけないのです。自由であればいいというよりは、まず一本の線、点か線のところで捉えておかないと行き場がなくなってしまいます。

 

リ、ル、そしたらコも同じ、ダはそれ以上にしない。amore mio、流れてしまわない。

一番だめなのは等分に置いてしまうことです。テヌートと同じで特別な記号でもついてない限り、等分に置かない。歌わされてしまわない。アとオが広がっています。

 

「あの日の~痛手も」。「恋の」から「痛手の」のチェンジもよくないし、そのまま引きずり過ぎるとそれしかできなくなってしまうのです。すると「片時も」の前に飽きてしまう。「手と手」とか声で押して行って演奏でもたせるのはいいが、それと別に言葉として浮かせていかないと原語でなく日本語だと聞こえなくなります。「手と手の温もり」「恋の痛手」歌に引っ張られてしまっています。

 

低いところでは、共鳴をどうするかの勉強で使っています。

こういうものとして勉強していると、自然と高いところのポジションへどう移るかが身につくのです。

「リコルダ」の「わがこい」、低くなって終わるあたりを学びましょう。

 

レッスンで、数曲、もってきた方がよいです。例えば4行くらい、一つの歌の4分の1くらい、1曲を仕上げるのに1時間半くらいかかって詰めていくくらい、一回歌をとことん追い込んでみる、役者でいうと泣きわめいて床をドタドタして真っ裸で走り回るようなこと、それと同じくらいのところを乗り越えるのです。

 

現場でやる人もいるけれど、今のステージは音楽がそんなふうにはなってない、バンドがついたらそこに乗っかってヴォーカルがさらに力を出せなくなってしまうのです。

平均的になってしまっているのはおかしい。1曲はすごく何かが出ていて、他の3曲はどうしようもないような歌い方でよいです。

 

 

今ちょっとうまくなる路線に行っているので、一回それを崩すことです。

3分くらいかけてやったことを30分くらいずつかけて、場合によっては1曲完成しなくて4行だけとかでも構いません。

 

長くなってもしかたない、まず自分で飽きてしまう、1曲で人を飽きさせてしまう、そうしたらもう歌ではない、そうではないことをどうやればできるか。映画でもよいが日常のなかで泣いたり怒ればよい、そういうときの気持ちのものを歌に入れなければいけない、それをもってこない限り場が変わらないです。

 

 

大きな転機、そこが変わると、全部変わります。

なかなかレッスンのなかでは難しいが、一人でやっていても発声ばかり気にしていたら成り立たないです。難しい課題だけれど、一番大切なことです。

技術を切り捨てるとよいのです。他のレッスンでも切り替えることです。

 

技術があるのは悪いことではないし、大切なことだが、これについていこうとすると何も出てこなくなってしまいます。今の声で一曲くらいもたせられなかったら何も歌えない、というくらいに考えた方がよいでしょう。

 

Ricorda sempreで何かしら変わっていかないといけないし、Ogni momentoは大きく表現していかないとこれ以上小さくなれない、すると、いくところがなくなります。

確かに、この曲は音域が広いので、高低差をあまりないようにしようと思ったら小さくなってしまう、どこかで突き抜けないと何ともなりません。

 

 

 

ーー

 

32:あなたに口づけを

 

「薔薇の憧れは」もう声がバラバラ。最初の「バ」。まだ声がバラけている、少し下げて、あるいは上の共鳴使うなら上げても構いません。途中で声がバラける。「憧れ」、「あこ」が聞こえない。「酔いしれる恋」、「る」は集約できたのですが「恋」、カ行タ行は皆、バラけるのですが、あまり言葉に囚われると流れはなくなります。それにしてもどっちつかずになっています。「こ」がはみ出る。

ハミングで。一度ハミングで全部通す。その線のところから、それ以上はみ出てはいけません。

 

最初の「バ」の入り方が広がっている。流れはそれでいい、そこで「薔薇」「恋」「花びら」「あなた」「包む」、若干区切らないと。読む。それでは歌になりません。読む練習をした方がいいでしょう。

 

言葉ではあまり聞いていないのですが、それでも原曲で歌った上で区切り直していかないと伝わってきません。メロディーのよい歌ですが、日本のお客さんのほとんどは日本語で聞いていきます。

 

キーワードが全部入っている、それをもってこなければいけない、原詩で歌っていてもそう、小説書くくらいに具体化しておかないと。少なくとも「燃え上がる恋の火を鎮めて」「あなただけが今はすべて」クライマックスに行かないとこの歌は成り立たないです。

 

音色がいる、動かし方が必要、こういうのは5年10年越しの課題、50歳になっても、そう簡単に歌えないでしょう。あとは言葉を出す前にひびきを一回まとめる、ハミングなどで通しておいてバラけないようにすることです。

 

そこがまだ歌のなかでバラけるときはバラけるしうまくまとまるときはまとまっている、うまく歌えたところを中心にそっちの方に全部もっていくようにするのです。

その歌い手のイメージがつき過ぎている曲ではない、そういう曲はそうでない歌い方で変えられるかというと難しいです。

 

音程が違っている。前半はいい、後半「恋の火を」「鎮めて」「あなただけが」あ、「今は」い、「溢れる想いは 寄せ来るさざなみ」、楽譜で合わせてみましょう。

 

「薔薇の憧れは」その声でも悪くはないが最後までもたなくなってしまう声、ハスキーになるし丸くなります。喉にきている。ハミングで。その方が響いている。言葉だと開き過ぎています。

 

細かい音符は慣れないと難しいのでつけなくてもいいです。ハミングのとき以上に広げない、それに母音をつけたり言葉を言うのだからもっと響いていいのです。まずハミングで、その後、歌詞をつける。大分よくなったがまだ歪んでいる、もう一度。それで充分マイクに入ります。

 

声楽でも同じ、それ以上に広がると喉にくるでしょう。ポップスで本当に喉の強い人でそういう歌い方の人もいますが、効率的にやることです。そこでつかんでおかないと言葉もきちんと入らない。いろいろな歌唱法や歌い方はあるが、とりあえず、それで一本つながった後に、どこかだけ感情入れたらハスキーになるとか、丸い言葉になるとかで、場合によっては許されるでしょう。

 

それは作品から見た場合で、発声から見たらまず一番よい発声のところで歌ってみることです。一番よい発声って何かがわからなくなるから、こういう歌を使います。

発声練習と違うように歌うのは構いません。ですが、それで危ないと思うようなのはよくないです。まして歌としてよくないなら何のためかわからないです。

 

 

ーー

 

33:カタリ・カタリ

 

どこにも評価を入れられない、日本語でも似たようなもの。感情は入れているのですが空回り。「言葉」「思い」「時はなし」やろうとしていることは、わかるのですが、構成も雑、フレーズを受けたり言葉を置いたりもしてないです。

練習するなら「忘れたまいしや」のところか。

 

つなげるだけでもすごく難しいのですが。

この難しい課題に対して、例えば10の課題に対して3ができている、4できている、6足りない、とみるのですが、そういう土俵にまだ乗っていないのです。

最後の裏声の処理。あとは「なげけども」から。

 

 

ーー

 

34:忘れな草

 

もう少しゆっくり、「忘れ得ぬ」の「え」、最後の「を」。もっと思い切りゆっくり。高音の処理、最後の「を」がはみ出してしまっています。「その想いを」だけ。歌詞とか内容が飛んでいる、「い」から崩れている。

「を」だけ完全に裏声に切り替えてみます。出し過ぎている、線が太い。そこにもっていって、弱めて、ばらさないこと。マイナス部分、最後のところ、完全に引きずってしまっています。

 

今までの歌い方とは違います。つられるところはあるが、語尾処理とか声の動かし方とか学べるところはあるでしょう。最終的に同じにはならないし、なったら、またおかしくなってしまう。

ただ一つの音から一つの音につないだり、後の処理をどうするかとか、どのへんで切り上げるかとか、次にどうつなぐかとか、その精密さ、ていねいさは勉強できるはずです。

 

外国人のように声量でもっているわけではないので、限られたところの声を最大限活かして出し、表現としては言葉も音も伝わるようにギリギリ接点をつけています。

そのつけ方がちょっと独特なところがあるし、癖があるから、そこにあまり引き込まれなければいいです。

 

「君の愛なくば」声では出ているけど。もう少し動かないか、その先「この世に生きる甲斐なし」三つ並べただけ。少し下げて。伝わらない。

「忘られぬ君のおもかげ優しそのまなざしを」メロディと言葉に囚われています。「いつの日にかふたたび」、「か」「たび」はまだ発声的に処理できていない部分、でも皆発声など完璧ではない、完璧にやるとクラシック歌手のようになる、それはそれ。

 

忘れな草をその胸に」、「の」はみ出しています。一つの流れのなかに収める、そのなかの波の動かし方みたいなもの、一つになっていないです。ここまでは序章、そこからいきなり「君に捧ぐ」から美しいメロディ。無理のない音域で。

 

イタリア語で。高くなった出だしでいくつか声が外れています。声のど真ん中でちゃんと中心を整えて響かせておかないと繊細な表現が全くとれなくなってしまいます。いつも音域を下げるのは、動かない声、墨がついていないところでどんなに線の勉強をしようと思っても、エアーのように全く墨をつけない練習もあるかもしれないけれど、なまじ中途半端なつき方をしているのが一番練習になりません。

 

ないならないですごく自由にできるし、たっぷり墨がついていたらいい加減にやってもうまくつながるかもしれません。声がとれないところだと、本来ならていねいにできる人でさえ声をとらなければいけなくなる、あるいは呼吸が足りなくなります。

この曲に限らず、一番肝心なところで呼吸が流れていないところが一番の敗因でしょう。

 

 

 

ーー

 

35:花をありがとう

 

Bに入るまでにきちんと積み上げていかないと何がきれいな曲なのかわかりません。

日本語、構成の問題です。Bは構成だけではだめで見せ方を考えなければいけない、掛け合いができていないといけません。

恋心、何がよくて歌なのかわからないです。

謡曲レベルには、なんとか仕上げてください。

歌うだけならそれほど難しいわけではないでしょう。

 

ただ、歌えてから先が至難の歌ですね。伝えるのが大変かと。

やさしくみえるけどすごく気持ち強くもっていかないととても扱えない、

そうでないとただの歌になってしまう、いい歌になりません。

日本語はうまくついています。年配のそれなりの人が歌わないと無理かもしれないです。

スタンスの問題は歌とか声とか解釈以上に大きな問題です。

 

 

 

ーー

 

37:マリア・マリ

 

後半の組み立て、特にBが見え難いです。見えないようにしてB-B'までいくならよほどB'の最後15行16行で収められていたら、この2行で完全に押さえられるならその前までは相当いろいろなことができるが、なかなかそうできる人はいないので、B-B'の構成を組んだ方がいい。

Aは、問題ありません。

 

 

ーー

 

38:オーソレミオ 私の太陽よ

 

Che bella cosa na iurnata 'e sole、Che beが潰れている、llaから入っている。もう少し顎を引いて。Che、集約する。coは出る、このポジショニングを捉えておいて、この音が上がる、Cheはやりがたいけど。ケベラ、コベラ、カベラ、マベラ。cosaからが本当の意味の地声で、そこまでのところが薄い。厚みをつけていくことです。

 

ラベラ。かすている。コーザ、薄くなってきました。ガーラ。コーザ。

声を聞かせるより声の使い方を配慮して仕上げたイメージ。

 

後半では喉に力入って押しています。この歌い方をするなら他の曲で使った方が多分よかったです。喉押し、ひびきが前にまとまって出ていない。

朗々とは言わなくても流れの方が中心になるので、体、息を使っていることが見えたけど、その上にきちんと声が乗っていないです。

押し殺してもっていくようなやり方だと、他の曲の方が合います。

 

 

ーー

39:「ほほにかかる涙」

 

流れでよくないのは13から14行目と同じく22から23行目のブレス、次に映るのにひじょうに重要だが余裕がないです。流れを大切にしなければいけない曲の割に音は飛躍するのですごくうまい人が歌うと、ボビー・ソロもただのフォークシンガーに見えたのにこの歌を聞くと、普通に歌ってうまく聞かせるというのはこういうこととわかる、普通は大きな歌になり過ぎて失敗します。

 

日本語は難しいのでイタリア語にするがその方がやりやすい割には頭から破綻していきます。1から2行目のつながりや「tanti tanti」、部分的にやりやすい音域でやればいいけど、急な高低に押さえきれないことが多いです。5から6行目の流れも同じ。この曲はいつもと同じように少し高くなったところの音色の押さえがうまくできないことがもろに現れています。

 

11行目からも。そういうところで詰まったものが全部ブロックを超えての流れを邪魔してしまっています。15行目「amore」。「tante」とか「amo」とかところどころいい音色は出ている、その感じで流れに乗れるかと思うとバタバタしてしまいます。低いところに音がないのは別にいいのです。これも音色でもっていく曲、音色より音域が目立ってはいけません。

 

 

そんなに音域が目立っているわけではないが、高音の発声が崩れているのが目立っていて、他の曲の方が高いところをそれなりに処理できています。

「ほほにかかる涙」は一行目だけでオクターブ半、向こうの人たちはフォークシンガーっぽい歌い方でもここでなんのチェンジもしないでいく、マイクがあっての歌い手ではあるが、深いです。深さを勉強するにはこの曲の歌詞はいい、日本語のようにややこしいことがないのです。

 

これも同じようにピークで体を使えるように考えることです。1~4行目、頭でいろいろ考えてやっています。一度体と声だけでロボットのようにしっかり歌います。4行目「te」や、3行目前半「mesi」に入る前までの音色がいいです。

 

1行目は「viso」の「so」が崩れるし、3行目は「cose」の「co」が離れてしまいます。そこが押さえられたらいいが、むしろ展開しない、真っ直ぐ、クラシックの歌い手のように。3~4は線が見える、「co」が雑だから上のひびきでまとめるとかあるが、それをやるとまたいろいろなところが動き出してしまうので、まず1~4を全く同じにそろえるようにしましょう。

 

音が上がったり下がったりするがバタバタさせない、体だけでもっていくのです。3~4はそれでいい、位置づけから言うとそれ以上に歌う必要もない、まずそれが成り立っていること。「viso」だけ。チェンジしない、位置を変えない。「ヴィーイー」「ヴィーズィー」、それ以上広げないで「ヴィーゾー」、あいだがつなげられていない、むしろ「ゾ」のところに「ヴィ」を合わせてもいいです。まだ上に明るくひびきが変わってしまいます。

 

「cose」、「カーゼー」「コーズィー」「タンティー」「コーティー」、2度下げます。今はソの音だと被せるか上のひびきに変えた方がいい、ソより下ならもっていけます。9行目から。「Non ho mai capito」の「pi」。11行目「amavi」の「vi」が鳴らないです。12行目の高いところ、そのかすれ方だとポップスなら全然問題ない、問題は13行目でかすれてもいいから強くできないとのっぺりしてしまいます。

 

練習方法としたら今のように、9~12はそれ以上やる必要全然ないです。下手に表現すると後がやり難くなるので、真っ直ぐ行って13で体、息、声がつながればいいです。つながらないなら13を強く言う練習を低めでしておいてから高くして、そこに9~12がつけばいいです。13をきちんと言って、14でちゃんと戻る、戻る線が見えていく、歌わなくても。

 

 

 

 

ーー

 

40「イル・モンド

 

「No-」だけ、「te-」だけ、「恋の喜びも」だけでやってみましょう。

発声のところと歌唱では、歌唱ではバランスが変わります。

言葉がついているところで、日本語とイタリア語があって、どう処理するかの問題です。

 

複雑になるが、母音の発声だけでやるよりは、深くしやすいでしょう。

共鳴というのを考えるのに発声で考えてもわからないなら、歌唱のところで考えた方がわかりやすいです。

特に低音では、低音の歌唱フレーズがあるところでイメージしていくのです。

 

「恋の喜びも」

言葉で読んでみます。イタリア語にしたときの切り方に合わせると、

「恋のよ ろこびも」となってしまうが、そうもできないから、リズムを言葉に寄せます。

発声的につながないとバラバラになってしまいます。フレーズとしては一つです。

 

 

やり過ぎれば曲が壊れてしまうので、できるだけ立体的にしていきます。

時間の長さをリズムの強さに変えていくのです。

まず大きな声で読んでみる。そこでメロディーを処理していく。

楽譜と違ってもいいでしょう。

言葉を生かしながらメロディーも活かす、リズムは難しいです。

 

日本語にした「おお」は難しい。

わざとらしくなって元のニュアンスがなくなってしまいやすいです。

 

「月の光も太陽も」、「も」だけ伸ばしても下手な歌になってしまいます。

伸ばす前に踏み込んでおいてその余韻で伸ばしておくのです。

 

 

最初は早くするなり短く分けておくとよいでしょう。

メロディーをとるかリズムをとるか言葉をとるかです。

何回も歌っているうちに一致する線が出てくればいいのです。

自然に言葉を読んでいるように歌が聞こえればいいのです。

 

それができるためには、発声の練習は別にやっておくのです。

しかし、出口をもっておきましょう。

発声ばかり5、6年やってみても、歌になったときに、それが使えなくなりかねないのです。

低い方だけとか上の方だけのできになるのでは、困ります。

 

「こいのよろこびもこいのしあわせも」

 もっと表現してみる。

イタリア語の原曲を聞いてやってみましょう。

 

 

 

ーー

 

40:限りなき世界

 

平たく全部同じ幅、平行線的な歌い方です。これは低音から入って伸びていくから評価しやすい歌、これを見ればすべての力がわかるくらい細かく見やすいが、こう歌われてしまうと。限りなき世界がみえてきません。

 

Aだけ。ここしかないつもりで最初から迫力とか重圧をかけて。sempreの変化はte、meでちゃんとおさえているからその変化が際立つのであって、No、te、meを体つけて処理しておかないと生きないです。サビを考えずにNoから大きく。まだ声がそろっていません。1~2だけ、No、teをそろえて。もっとボリューム。それぐらい入れていくと体が方向とかバランスを教えてくれます。

 

それでオクターブとかいけないのは誰でもそう、でも練習はしておかないとどんどん口先になります。その延長で1~6。5~6の呼吸が全然足りないです。最後の方comeで呼吸がなくなっている、ここでもう2倍伸ばせるくらい呼吸が余っていないとだめ。

 

あとはフレーズの色、4までから5~6へ、その後Bから曲調が変わるので、歌詞もそうです。Bから。最低でも2行ずつ、本当は7~10で一つ、外国人の感覚なら7~12で一つ、単に登っていくのです。11~12が高くなるからつかめなくなる、発声の問題、言葉の問題。細かく言えば7~8でも7に比べて8はつかめなくなっています。途中で放してしまう、何もつかまないで平行的。7~8だけ。

 

日本語の場合はとらえないまま後ろをぐんと伸ばすことがあるけど、頭をきちんとつかんでおけば後ろそれほどつかまなくていいけど、こういうところは両方つかまないといけません。慣れてくれば頭だけつかめばいいです。

 

日本人はつかむのが遅くなる、まだつかめれば、そういう感覚があればいい。1~、開いていかないこと、どんなに体があってもマイクに通らなくてインパクトがなくなります。7~8だけ、繰り返す、そのメリハリです。

 

日本のフォークシンガーは全部語尾を放していく人が多いから、なんとなく語尾をつかまない感覚があるけど、つかまないと子音は言えない、日本語の場合は母音があるからそれでぱあっとしてもいいけど、演歌はそこをビブラートつけたりきちんと揺らしたりしています。つかんだ上でその線を放すのは構いませんが、最初から放すと歌が全然動いていかない。Oh! mondoになると音域自体がまだ難しい、6度もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

課題曲レッスン カンツォーネ(6)26~30 11433字

課題曲レッスン カンツォーネ(6)     

 

26.ラ・スパニューラ

27.愛は限りなく

28. 青空に住もう

29.アネマ・エ・コーレ

30.心遥かに

 

ーー

コメント

 

26:ラ・スパニョーラ

 

 

まずキーを低めにとって動かしやすくしましょう。

ラ・スパニョーラは、押し過ぎ、喉のロスが大きくて重くなっていて、心地よさを一部帳消しにしています。何をメインで見るか。歌、発声、感覚、表現、その順序だてをどこをメインでみるかによってで変わるでしょう。この歌は、あまり動かせないです。

 

今の言葉ではない昔の言葉だからイメージを入れられる。イメージが全く出てない。声が難しいのは楽器のところで、そういったものを出すのは不可能なら、それは言葉の部分でカバーしなければいけないのです。

 

楽器の完成度で歌っていくという方法もありますが、それは器楽的な世界で、ここのヴォイストレーニングからいうと一つの目指す方向です。

聞いている人は、特に日本人が日本語で聞いたときには、言葉を聞かないというのはありえないから情感込もって聞こえるかどうかの勝負になってしまうのです。

 

 

私のなかでは3割くらいですが普通の人にとっては7、8割か、場合によっては10割、言葉でしか聞かない人もいます。そこが1、2割でも出てないと、歌には、なかなかなりません。一方、ハミングとかラララで歌っているのでも成立させます。この曲では、それをもっと活かすことです。

 

恋心、そぞろ、もつれゆく、今宵、愛しの君よ来ませ、

この繰り返しも伏線になります。

実際メロディーからも声からも読めないのですが、歌詞からは、こことここはこうつながって繰り返しで、この「来ませ」には、こんな感覚を入れると伝わる、

愛しはどうか、愛しと君の関係は、そぞろとかもつれゆくとか、何とでも解釈できる言葉があるからいろいろできます。

 

恋か恨みか、せりふ劇ではないから焚きつけるようなモノローグみたいなことは、歌のなかではやらないのですが、効いていて、そのイメージが膨らませます。

この一曲のなかのメロディーで言っている意味を助けていくこと、ここまで繰り返されると聞いていられません。心地よさの逃がし方みたいなもの、押す部分は押して構いませんが、どこかでコントロールしておかないと、自分も疲れてるし、聞いている人は、もっと疲れてしまいます。

 

 

ああ〜もつれゆく今宵。ミュージカルで5人くらいいて5番目に歌うならいいのですが、こういう場合はヒロインがたった一人で歌って全部成り立たせなければいけない。ですから、5倍くらい背負わないと、成り立ちません。今の表現だと、その程度の女性がその程度の男をその程度に待っているくらいで終わってしまいます。

 

ここがもたなかったら、次ももたない。どういうふうに動かしていくか、それがフレーズに関わってきます。愛しの君よ来ませは、テーマ、これを毎回変えて歌うわけにはいかない、同じに歌わなければいけないので、問題になってくる、これが入ることで全体的に高まっていきます。

聞くたびに、この歌のよさをアピールしていかなければいけない。そのように組んでいかなければなりません。毎回違うように歌うとか毎回思い入れたっぷり言うことではないのです。

 

輝ける君がから。人知れず燃ゆるから。発声だけで言うなら、それが一本統一されている方がいいし、それが基本でないと戻れなくなってしまいます。それが歌になったときに化けてこない。歌い込みのなかで同じように歌おうと思っていたら同じにしかとれない。できるだけ飛躍させて、恋とか恨みとか人知れずとか、燃ゆる一つでもどうやれば聞こえるのか、考えましょう。

 

 

それぞれ全部が活きていなければいけません。プロは全部活かす、活かし過ぎて鼻につく様なケースもあるが、少なくとも一つ一つの単語の意味、こーいーかーうーらーみーかーではなくて、恋があって恨みがあって、人知れずがあって、燃ゆるがあって、です。燃ゆるはすごく化ける言葉、その化け方を言葉じゃなく声のトーンとか柔らかさとかしなやかさとかフレーズのちょっとした動きみたいなもので表します。

 

声が完成して安定しているから、そこでできる。たとえ、その半分も声をもっていなくても先にそれをやらない限り、人前には立てない。先にそれを覚えてしまうことです。

その後にそれを壊して、もう一度声を結びつけます。

 

そういうことは大体できないからヴォーカルとしての上達は止まってしまいます。

声からやっているからといって、表現をやらなくていいわけではないのです。

 

 

 

ーー

 

27:「愛は限りなく」

 

「雲が~胸にしみる」

「雲が流れる」だけで一時間かけてもいいくらいです。

「くもがーなーがーれるそらをーあーなーたーのーむーねーのー」では、歌詞もメロディーも両方伝わりません。「雲が流れる空を」だけ、それをメリハリをつけて言葉で読んでみます。

「雲が~胸にしみる」まで読んでも、それでは何も伝わりません。もっと入れ込んでください。

 

「白いハンカチ、その白さが、あなたの胸の、胸にしみる」

歌詞もメロディーも重層構造になっていて、繰り返しているのは意味があります。

一時間くらい読んでみてから練習した方がいいでしょう。

力が入って言葉がボケています。メロディーに乗せていく作業、メロディーフレーズを構成しましょう。

 

「流れる」の言葉が流れています。

「空を」と言うとき、そうは言わないでしょう。今のでは、6割くらいの完成度です。

今のところ声がまだ追いついてないから大きめにつくっておいて、大きめにつくったら必ず破綻はしていくのですが、それでも一部に流れが出るから、その流れをとりながら、構成します。

最終的にはまとめますが、最初のレッスンでは、一曲全部より、まず一フレーズ、その完成度を見ます。

 

 

「流れる空を」に隙があります。

大きくというのは、メリハリとしては大きいのですが、表現としては集約していく方向、拡散しない方向です。大きくどこかに焦点を当てて、そこに追い込まなければいけません。

 

「雲が~胸にしみる」読んでも、それではただの朗読です。メロディーをつけたのは、メロディーに乗るところの読み方を学ぶためです。朗読から離れて音楽的な音程まではつかないところで、そこのメリハリとか構造をつかみましょう。この歌詞はうまくメロディーの構造についています。

 

そんなふうに読んでいません。「その白さが胸にしみる」も棒読み。「ハンカチのように」までは、なんとか三本通っているが、その後「その白さが胸にしみる」は完全に開いてしまっています。ここを一番閉じなければいけない、集約しなければいけません。

 

 

「その白さが胸にしみる」だけ。「そのしろさが」点でとっていて、「その白さが」に聞こえません。「むねにーしみるー」ではなく、「胸に染みる」の「る」も変に伸ばさないことです。

 

今のフレーズで120くらいの大きさでとっているから、実際に歌おうと思ったらその半分くらいの声でないと、その先、声が保てないでしょう。

難しいのは、ここを完成させたら他を歌えなくなること。

だからと言ってさっきのように歌うと全部が流れていってしまいます。

 

そういうときの歌い方としては、ある程度、小さい声で同じことをやることです。小さい声でやる方が実際は難しいのです。

練習としてなら、言葉のニュアンスのメリハリをもちながらメロディーを入れていきます。

メロディーのメリハリをつくっていきます。

 

 

「雲が流れる空を」に聞こえません。感覚が最初から違う方向に行っている。「くもがー」「ながーれる」「そらをー」ではなく「雲が」「流れる」「空を」くらいに抑える、抑えると声が出なくなってしまうから難しいのはわかります。

「あなたのー」「むねのー」二ヵ所ボケて、「むねのー」が雑です。「しろいーはんかちのようにー」「しみるー」とは言わないです。「胸に染みる」だけ。それでは朗読だけで歌になっていないのです。

 

声はよくても同じに二つ置いただけだから表現にはなりません。今のでギリギリ。それ以上の密度をもって歌っていきましょう。

たくさんの曲を何回も歌ってもカラオケのおばさんが歌っているのと同じです。

質的に高まっていかないでしょう。

 

今のところまでやろうと思ったら二行だろうが一行だろうが引っ掛かっていく、そこをきちんと潰していって、後半になってくると音が高くなるので半オクターブ下げてもいい、

下げてもこの歌はできないし、ある程度上げていかないとメリハリがつかないです。

 

 

「あなただけを」だけ。難しいので「Dio  come ti amo」にした方がいいです。

Dioは神様、そういう感じで歌っています。

そこに切実味とか。「コ、メ、ティ、ア、モ」になっている。Dio言葉で言ってから、これに「あなただけを」をつけるので、すごく難しいのです。

 

声の中心のところで歌っていないからマイクで補っても、もたなくなります。感情移入が入っているところだけで動いてしまっています。サビと最初の方とはまた違ってくるが、最初の方はどちらも抑えたところでやることです。

 

 

最初の4行。「その白さが」の白は「白いハンカチのように」の白、あまり歌詞にこだわりたくはないのですが日本語で解釈するとそうなります。言葉よりはメロディーを重視して、別に「胸」とか「白」とか言葉を強調するわけではないけれど、4行が一つになっていて、自分のなかで「その白さを」と言うときに、雲の空のことを結びつけていなければなりません。

 

聞いている方は、相当に本人が結びつけて言ったって大体わからないから、10倍くらい結びつけておかないと、伝わらない。日本語の意味だけではないのですが、それでそれが伏線になって、次のところ「あなただけを」にいくわけ。

 

ですが、違う歌だと思ってもいいくらい、ここは離しても構いません。最後だけ短くした感じ、言葉で読んでください。

読んだだけになっている。遠近法みたいなもの。最後の落ち着かせ方はよくてもその前に広げ過ぎたら大きくなり過ぎます。ほとんど半オクターブのなかで動いているからこんなところで歌い上げてしまうと1オクターブ半を展開しようがありません。

 

 

最初の2行でBメロくらいまで行っている、まだAメロ前なのに。言葉はくっきりしていいのですが曲の間合いとしては八つ言っている、それを四つ、二つ、一つに。「胸にしみる」でちゃんと落とし込めるようなところにするんだから、上の三つはあまり間を空けるともって来れない、バラバラになってしまいます。

ここで大曲になってしまっている。

 

二倍の速さで。それでもまだ1.5倍くらいの感じ、早くやっているのですが間が空いています。このくらいの速さで言葉がだめになっていたら2曲目歌えません。何回か繰り返して。「胸の」でわかれている、「白いハンカチ」と「その白さ」が分かれている。

 

セリフだと間合いだけでなく声の大きさとか際立たせ方とかいろいろ変えられる、歌もそう、ただあんまり言葉にとらわれるとメロディーが。でもここは本当はメロディーじゃなくて言葉で勝負するところです。

 

 

日本語だと勝負しようもないのですが、違う歌くらいに考えて。その歌の部分を匂わせるプロローグ。こうして何回もやっているうちに、この速さが全然早いと思わないで、むしろゆっくりくらいに聞こえてきたら、もう少し余裕をもって。

要は一つに聞こえなければいけないのです。

 

一つにした上で八つに置き換えてみたり四つのなかでメリハリつくってみたりしてもよいのですが、それがつかめないと「あなただけを」がなぜこう出てくるのかが、

本当の意味でわかっていないです。単純な流れ。

自分のなかでよほどきちんと組み立てておかないといけません。

 

そのままやってしまうとほとんど流れてしまうのでどうするかです。クラシック的な感じにもなってしまうところでは、岸洋子さんが歌っています。

発声のところで言えばポジショニングを失ってしまうと歌えなくなってしまいます。

 

「雲が~胸にしみる」。八つくらいに捉えてしまっています。一つに捉えてみてそれが2つなり4つなりに分かれるのはしかたない、起承転結でせいぜい四つ。大きくしていくということと広げてしまうのは違う、あくまでメリハリが見えるように大きくしてみます。小さな声でもメリハリが残っていればいいのです。

 

メリハリは声の大小だけではなく、鋭さとか、むしろ集約度。逆に短く速くやってみる。

例えば二倍の速さでする。速くしてフレーズの関係とか意味の脈絡を壊してしまったら何にもなりません。

ここまでで一つ、入れるところの前提をつくります。前振り、この効果、それをどういうふうに捉えるか、正解はないです。

 

最初からもそうですが、8、9行目からはもう、日本語も「甘い口づけ」「幸せ過ぎて怖いくらいなの」、直せるところは「この幸せを」「温めたい」。

日本語の処理が難しいところですが、なんとか膨らませないようにしていかないと、1曲が大きいから凝縮して歌っていかないと歌のスケールが、後半、全然盛り上がらなくなってしまいます。

 

歌として成り立たせる分には、曲が成り立っているので、日本語が妨げないようにどうするか、日本語の前に言語で歌っておいて、「Dio, come ti amo」

日本人だと「Dio」だけでも難しい、「come ti amo」もそう、

かと言って日本語「あなただけを」になるともっと難しかったりするのです。

 

「涙でそっと温めたい」も難しい、「愛は喜び愛は悲しみ」もっと難しくなって、一番難しいのは「燕のように」のフレーズ、「自由に」とか、「ウ」が続いていくようなところ、

どこかにフレーズを移さないとこの盛り上がりにならないから、

 

原曲を入れておいて。「燕のように」もいろいろなやり方がある、いろいろな歌い方をいろいろな人がしています。

「愛は限りなく」テーマ。

それと最初「雲が流れる」のところも絞り込んで歌っておかないと、後の展開ができません。

 

 

 

 

 

ーー

28:「青空に住もう」

 

問題はサビのところ、音域が広く高いところで構成されるので、高いところが得意な人でもすべってしまう、盛り上がりをうまく魅せられない。

女性は低いところ、最初のAmorが出ない場合もある。

 

とにかく、日本語にしても、内容も難しい曲。しんみり歌いながらちゃんと伝えるのはよほど力がいる。日本人は、あまり歌わないでしょう。

 

普通は前後オクターブ分けて、途中半オクターブ下げて、あるいはサビだけで、そんなふうに練習しないと、回らない。それで大抵サビが回るところにすると最初が出ない、でもサビが回らないと歌が成り立たない。

選び難いのですが、やって見て、またいつか、と、永遠の課題でしょうか。

 

日本語はさらに難しい。最初の2行だけでも、とか。「限りない」の「ない」からもう乱れてくる。「呼ぶ」よほどきちんと言わなければ単に歌っているだけで、曲に負けてしまう。

問題は「地の果て」のところと、イタリア語できちんとやっておかないと日本語の歌詞が難しいの並べたような歌詞です。

最終的なチェックなどをする分には、基本ができたかできていないか、大体ボロボロになるだろうのですが。歌うことより、どうアプローチするかを考えていくことです。

 

 

最初のアモールだけで難しい。「アモール泣いてはダメ」だけ。ルはあまり強く言い過ぎない。

メリハリを多めにつけておいてから、今くらいの大きさに戻した方がいいです。

最初から音楽的に歌ってしまう人もいますが、ただ大きな歌なので、ここで歌い過ぎてしまうと後半が難しくなってきます。

 

「アモール~呼ぶ」まで。「幸せが消えた時でも」だけ。「限りない大空は呼ぶ呼ぶ」、「大空」の「ら」が入っていない、「限りない」の「り」とか「い」が入らないと先が乱れてしまいます。「い」が開くと「大空は」と体からどんどん離れて難しくなっていきます。

 

「限りない大空は」で止めて。「らは」だけ。いろいろな「ら」があるのですが声にしないと。「ら」も「は」も開いています。そこで歌うから言葉も曖昧になるしメロディーももたれます。甘い感じがします。

少し言葉は明瞭に見えるようになってきている、その線はギリギリ守っていかないと、上に行ったときに単に歌わされているだけで何の表現も言葉もメロディーもつかなくなってしまうでしょう。

 

大曲をやるのはひじょうに勉強になります。これらの曲はいろいろな人がいろいろと、いい加減にも歌っているから難しいが、チンクエッティやクラウディオ・ビルラ、真似てもどうしようもないが、音楽的な感覚としては、そういう感覚を学びましょう。

 

 

 

 

ーー

 

29:「アネマ・エ・コーレ」

 

「愛しい微笑みを」で7割くらい。全部歌うならそのくらい、今は10割出します。

「愛しい」の「と」で入り込めてないから「微笑み」で5:5になってしまう。メロディーに乗せようと思わず、自分でフレーズをつくって構いません。

「愛しい」に「微笑みを切なく求めて 私の心はこんなに震える」最低ここまでぶら下がる。

 

プロならその後「あなたの口づけに恋は燃える」ここまでぶら下がる。それをここの頭のところでもたせなければいけない。

「愛しい、微笑みを、切なく、求めて」みたいに歌っていたら大変です。

体を使ったり呼吸使ったり発声するのが大変になる。それはイメージの間違いです。

まだ「微笑み」に重心がある。「愛しい」を聞かせなければその後は聞いてもらえない。

 

「こうしていつも」言えてない。「こ」と「お」が言えてない。「こうして」に聞こえない。強くしても言葉としては言わないと。歌っている。

発音の問題。「離れないで」「は」も「な」も全部かすれている。それはそれであるけれど、別の歌い方。「離れないで」とは言わないはず。

「こうしていつも」も「離れないで」も比較的メロディーと言葉が一致してうまくついているから、気持ちをきちんと出せばちゃんと乗っていくところです。

 

なかなかこういう歌詞はない。言葉で「離れないで」と言っているだけ。まだ体がついてない。

入れるところでフレーズで。伝わらない。

「離れないでいつまでも」まで。余計なことしない。

 

Aメロは比較的いいが、いつものことだが2コーラス目3コーラス目になると変わってきてしまうのは何かしらある。

普通1曲目出だしは難しく、段々乗ってきてスムーズにいくので、2番3番から歌うこともある。

 

喉の使い方かあるいは集中力か、何かわからないのですが、最初やれていることがその後もっていない。特に高いところに入った後に、戻れない。となると高いところの処理をどういうふうにするのか。プラスならいいのですがマイナスだと戻ったときまで高いところの効果さえなくなってくる。

 

この曲で言うとBメロから。このへんは音楽的な感覚、日本語もそうですが「アネマ・エ・コーレ」の置き方がすごく大切になってくる。

8行目まではマイク入れればほとんどの人が気づかないから問題ないとしても9行目の入り方、終わり方は、日本語でも引っ掛かっている。ここから10行目にかけて、10行目もそう。稼がなければいけないところ、そこまではプラマイゼロでそこからプラスを重ねていく感覚のところ、重ねられていない。ボーナス点を見逃している状態。

 

 

そこの問題が出てくるのは11行目の入り方、というか受け方。「こうして」特に日本語は難しいが、イタリア語でも同じ。9~10行目でちゃんと体と息を使って表現していないから、どうでも入れてしまう、どうでも入れる方が音楽は難しい。例えば息がなくてそこで吸ってその勢いで入らなければいけないとなれば、大体決まってくる。聞く方もそう聞いている。

 

このへんを原語で踏まえなければいけないところで踏まえてないことが、日本語になったときに酷く出る。「あなたと共に生きたいの」の「あなた」、「生きたい」の「い」、「い」から「の」のつながり、このへんはすごく差がつくところ。ここをうまく見せられる人とだめにしてしまう人で3倍くらい差がついてしまう。

 

次の二行も似ているのですが日本語だと「こうして」が入ったり「いつも」引っ掛かる。「あなただけを」息の力で「あ」が「は」っぽくなってもよいのですが、多分そういう方向の表現じゃない、むしろ柔らかくていねいに置ける部分。

 

 

それからAの悪い部分を引きずっているのが2A、15~20行目までほとんど1~6の柔らかさが見られなくなって突っ張ってきている。18行目最後「felicità」、20行目最後「verità」、日本語も、「こんなに求める」「固く信じている」「あなただけを」、感情が空回りして棒歌い。

 

23行目24目、イタリア後の方が韻を踏んでやりやすいはずなのですが、韻を重ねる効果が出ていない。言葉の効果とともにメロディーのところの重ねの効果、点数とれるところでとっていない、そのへんの音楽的な処理のセンスの問題。25行目イタリア語だとそれほど目立たないが日本語「こうしていつも 」はだめ。イタリア語は最後「anema e core」なんとか終えている、

 

ここで立ち直っているのはいいのですが、本当は15行目くらいで立ち直っていないといけない。まとまったからまだいいのですが2番はガタガタ、その原因は1番でほぼ出ている。それでも通っていることは通っている、ほかの曲よりは、合っているのか声がまだ柔らかいからか、これから比べると他の曲はこういうことのオンパレード。

 

 

 

 

ーー

30:心遥かに

 

「Non so mai perché ti dico sempre sì」もう完全に浮いている。

イヴァ・ザニッキは見本に使うなら、絞り込み過ぎないこと。

ただ見えやすい。それだと速度に合わせて音にあてて言っているだけ。

「Non so mai」その感覚自体が違う。間違ってはいないのですが何も伝わらない、歌っているな、という歌い方。

 

「冷たい」だけ。伸ばしている、クラシック歌手がやってしまうような悪い癖になる。

「冷たい言葉聞いても」、「聞いても」の方がまだ一本に見える。「言葉」詰め過ぎ、声が乗っていないところに言葉つくっている。

歌える人も「冷たい」の「つ」とか「た」が入るとなかなか言えない、これが「あなたの」なら歌えてしまったりする。ところが「冷たい」になると踏み込めなくなる、よほど基本がないと。「なぐさめの言葉など」も「さめ」「言葉」難しい。「生き続ける」もそう、「い」「つ」が深いところでとれないとバラバラになり兼ねない。

 

「La mia solitudine sei tu」ここがオクターブ。「あなたに恋をして」、「た」の音が一番違うところ、日本人だと上に響かせてしまうのですがそんなことしてない。

よい歌い手というより、ストレートでわかりやすい歌い手。イヴァ・ザニッキのポジションをもってた上でもうちょっと柔らかく普通の歌い手は歌っています。あそこまでハスキーにはしないというだけの話。

 

「あなたに恋をして」当てているだけ。

「La mia solitudine sei tu」、詰めたらだめ。そこはフレーズたっぷりに歌わなければいけない。

 

Aメロで言葉で詰めた分だけここは完全にメロディックに、いわゆる音楽を入れていかなければいけない、ここからリズムが入る、メロディーが入る、そこまでは言葉の部分、典型的な歌。それは真っ直ぐには行っているのですが、上に上がってちゃんと下がっている感じ、声は変えないで出さなければいけない、たっぷりと。

 

 

「冷たい言葉聞いても」、全部流れている。言葉で言って。言えてない。そこのポジションで歌います。三人もよいヴォーカルを聞いているのだからそれをコピーすればいい。

全部が同じ大きさになっている。ただ頭で大きさ変えようと思うとそれがすぐ出てしまう。そのへんは体が馴染んでいないから、ごまかしが効かなくなる。

 

「あなたに恋をして」絞り過ぎ、まず声をしっかり出して、それから歌う。それで、全部が8分音符にならないようにフレーズをつける。そして、発音を調整する。

「恋をして」がほとんど何も言えてない。後半が絞り込み過ぎ、喉使っている。ここだけメジャーコードで伸び伸び歌わなければいけないところ。

 

表現するということは、時間とか空間を変えなければいけない。そのなかで時間を感じてたり空間を感じてないと変えられない。そこで漏れたところでカウントしてみて、ここで大きく出そうとかここで外しちゃいけないとかぱっと入ってみても、それはもう遅れてしまっている。

 

 

彼らが自由にやっているのは、体があって呼吸があって声が出ていて、その上で発音があって、それが音楽になっている、音楽に乗せているのではなく音楽をつくっている。

本当はすべての歌がそうなので、どこでも動かせる。

 

細かく見ていけば、「こうして」だけ、「冷たい」だけでも、100通りでも200通りでもいくらでも動かせます。頭で考えてもしかたないから、歌っているなかで一番流れがとれるようにとっていくしかない。

 

「愛しい微笑みを切なく求めて」も、一つ一つ考えてもしかたない。声がきちんと出ているところの乗ったところのなかに音楽が現れてくるかこないかで判断しないといけない。

その先の言葉とか表現に入っているのですが、そこを忘れたら、楽器で音が出ていないところに無理に弾いているようなもの。どんどん締めていく。

 

 

喉も締まるし体も縮こまる。全部歌わなくてもいいから、30分「愛しい」だけ、「愛しい微笑みを」だけ、そこがきちんと入らない限り「恋は燃える」まで終わらない。

聞く人も出だしだけで聞かなくなってしまう。

 

「二人の恋は」のところで何かしらリズムなり感覚を出さない限りは、歌がつまらなく終わってしまう。「楽しい」で楽しくなければ楽しい気持ちになりません。

 

解放されるためには、マイナーで始まってメジャーに展開するようなこの手の歌は、その対比でもっていくのもあります。歌い手がそのスタンスをもっていなければ聞けない。

今の時点で残念なのは、発声のときにもっと呼吸とか声とか自由になっているはずなのに、それが全然使えていなくて、バランスをとっていることです。

 

このレッスンでも自分にとっては2倍くらいに歌ったように思うかもしれない、それでも最低レベル、3倍でも足らないくらい。ただそれでやると1オクターブもたなくなる、1オクターブくらいは歌えると思うが、単に歌えばいいではなく、「愛しい」と言った後に「切なく」でもってないと思ったら、やり直さなければいけない、どうしてもできなければ、次のところから始めてみます。

 

部分的に全部を完成させてつなげてみたら、またつながらなくなるので、また部分的に変えて、あるときは捨てて。そういう吟味が何もされてきてないと、いろいろ考えて歌ってきたようでも100回同じように歌っているだけ。

今みたいに歌い変えていけば、違う感覚ももっと出てくるはず。その発見したものをきちんと組み込んで、それでも最終的に一曲になったときに一つも出てこないので歌は難しいのです。

 

10個組み込みたくても1個でも出ていたら大体いい歌になる。そんな簡単に出てこない。だから今の歌なんか全部つまらない。

この当時の人は耳だけで勝負しているので、そこから学ぶことはもっとある。聞いていたら動かし方も体に入ってくるでしょう。

 

 

自分が歌っているなかで感じて動かさなければだめです。それを感じないところで動かしてしまったら、単にわがままにメロディーを動かしているだけの話です。

歌の心の部分で動いているわけではないので、そうすると通じなくなる。

 

すごく動かせる歌です。今日やった部分でも10パターンくらいぱっと思いつくくらい動かせる手前のところまできています。そこで感覚と声だけが少し解放されていたら、充分動かせるはずです。それを動かしていないというのが伸び悩みになっている。

 

体ができていない、発声ができていないで動かない人にはそんなことは言わない、今やっていたら動かせるのがわかったはずです。ここでもっと動かせるとか、ここでもっと気持ちが入るとか、ここでもっと音楽らしくできるとか。そこを拾い上げないで仕上げてきていたら、それは聞けない。そういう練習をすることです。

課題曲レッスン カンツォーネ(5)21~25 13977字

課題曲レッスン カンツォーネ(5)     

 

21.遥かなるサンタ・ルチア

22.アリヴェデルチ・ローマ

23.去り行く今

24.チャオ・ベラ・チャオ 

25.モア

 

ーー

 

コメント

 

 

21:遥かなるサンタ・ルチア

 

 

真正面で歌うと難しくなる曲、これで歌えたら、もう課題がないくらいです。

音域のバランスとるくらいの課題で使うんだったらよいのですが、発声からは、いい加減になりそうなもので、要注意です。

 

Santa Lucia~

詰め込まないで普通に歌ってみましょう。発声でさらう方がいいでしょう。

ゆっくりと歌いましょう。

ルチアのチで引っ掛からないように。

それが5くらい引っ掛かるとしたら、テとニアのところは2か3くらい引っ掛かるでしょう。チのところは、言わないで流すか、言い切ってしまうのか、です。中途半端にやると引っ掛かりやすいです。

 

ルチアのアも次のルンタノのルのところで戻りやすいです

ルチアのルは、難しいです。深く入ったなら、そのポジションで、ルチアをルーアのつもりでイを意識するとよいでしょう。

サンタルチアだけをゆっくりと練習しましょう。

また、ルチアだけを低いキーから上げていくのもよいでしょう。

 

Partono 'e bastimente。ティ、狭くしないことです。

イではないけど響かせます。

イは喉にかかると伸ばせないです。

伸ばせる方向で。アーエーイー。ターテーチー。

最後にイで伸ばすところで、喉にかからないために、

より深く胸に入れておき、頭の方でも引き上げておきましょう。

イは、マスケラにひびきを残す感じです。

 

ティ、はじけないことです。

ティーア。アーイ。アーイーと弱くしたり、切るときに、マスケラにひびきが残っているか確認します。言わないくらいのところで処理します。

短くしないと難しくなります。

 

FとL。発声に使うには、喉を締めないところで統一します。

それが最低限の線で、そのまま、保ちましょう。

 

「港を出れば」最初は、キーを下げて確実に声にしましょう。

「月の光に」、「つ」は声になっていて「き」は無声化、

その「つ」と同じところで「港を出れば」が言えていますか。

「ば」が消えていませんか。

「な」「を」。何もしないのがいいのです。

これの上に次の「サンタ・ルチア」が入れば歌になるわけです。

 

 

 

ーー

22:「アリヴェデルチ・ローマ」

 

平坦に歌える曲ではあるだけに、要所を締めていかないとよくありません。

相当、引き締めないともっていけないです。

緊迫したなかで歌われるようなイメージです。

 

原語の方が、ばたついて消化し切れないままなら、日本語の方が伝わるでしょう。

案外と、その差が大きいです。

「アリヴェデルチ・ローマ」4行目のつなぎあたりから、全体的に浮いている感じにしないことです。

7行目は流してテーマとして歌うというやり方もあります。どちらにしても、何かひき締めたいです。

日本語では、歌いやすいのですが、リズムがこなせるのかが課題です。

「古き」「ローマ」の「マ」。

リズムに乗っていますか。「アリヴェデルチ・ローマ、さようなら」で何かできそうです。

 

この歌は呼吸を大きくして歌わないと伸びやかさが出てこないと、この歌のすばらしさ、すごくよい歌なのに伝わりません。

「空遠く」でもうブレスきつくなっていませんか。

「離れて行こうと」も、このへんがきつくなってしまうと、その後が、「君がもと」の伸ばし方とかが保てなくなります。次の「アリヴェデルチ」をキープ、そして次のところから、特に最後「数々」気をつけましょう。

 

 

目的によって、完走目的なのか部分完成なのかによって違ってくきます。

イメージの問題なのか、メンタルの問題なのか、体の問題、呼吸の問題なのか、

いろいろな部分ので問題が見やすいと思います。

 

「夕闇忍びよる 石畳の上に」は、呼吸が深くてとれている、

次の「長い影」の「影」から「宿して」まで、ぼうっとなり、「人影」の「げ」おかしくなっています。

一行目に関しては、イタリア語全般より日本語の方が深く入っています。

このペースで最後まで通せれば、だいたいもちます。ただし、それ以外のことが起き過ぎています。

 

「いつかまた帰りくる日の」の「ひ」、「きたらん」の「き」、「ことを」の「を」。「いつか~祈る」は流れてしまっている。

肝心なのは「アリヴェデルチ・ローマ〜」イタリア語もそうだけど、ここが勝負です。

向こうの人たちのように鼻にかけるきれいな共鳴でなくてもいいです。

それに対して「グッドバイさようなら」。「たとえ異郷の~」から流れが変わります。

 

「夜ごと」の「ごと」、「君がもと」の後の伸ばし方、「さようなら」の「ら」。

「いつか星も輝き」このへんになると、ブレスが聞こえません。

それが崩れてしまうのが、イメージなのかメンタルか、体や呼吸が間に合ってないのか、いろいろな原因が出てしまっています。

 

「夕闇忍びよる」くらいの、時間の余裕はなくとも、体の動きがあって入っていることです。

「思い出の数かず」では、もう息がなくなってしまっています。

すると表現以前の問題になってしまうのです。

 

 

この曲はじっくりと聞かせる曲ですから、バタバタしてしまったRA、よくありません。

「数かず」「君がもと」いくつか突っ張っている部分、まだ処理できないなら思い切り歌うというのもあります。本当にできないのかといったら、そこだけやればできます。

 

解釈とイメージ、ここで一回だけ歌うときのコントロール。セリフ、詞、メロディがきれいに結びついている、一見、簡単だからこそ本当の意味で難しいのです

場合によっては、イタリア語と日本語で違う解釈で歌ってもいいし、あまりこだわらなくていいです。

イタリア語に沿ってというのは、あくまでイタリア語でうまくいっているときの話です。

 

それがうまくいかないなら、つくり直した方がいいです。イタリア語の方が強弱リズムに乗っているから、うまく運んで発声も楽になる、日本語にすると言葉に囚われてうまくいかない。

それだったら日本語でもイタリア語と同じように処理した方がいいでしょう。イタリア語がうまくいかなくて、むしろ日本語の方がうまくいく人もいます。

 

 

バタバタしてしまうところは、イタリア語の発音自体に慣れていないことが多いのです。

言いやすくて流れやすい簡単なイタリア語のところはイタリア語でやりましょう。バタバタしていて口が回らないようなところは日本語でやったらよいでしょう。

 

その方がやりやすいです。音の数が少ないと間延びしてしまいます。そこにイタリア語の子音とかたくさん入ってくることによって、発声が楽になったり高い声が出しやすくなることが多いのです。特にサビはイタリア語の方が一致していてやりやすいことが多いです。

 

歌としては、A-B-B、A-サビ-サビ、A-テーマ-テーマ、です。

最初の言葉で読むところはしっかり言葉で読みましょう。

あとは「アリヴェデルチ・ローマ」から歌。

四行しかない歌、それを二回繰り返して終わり、シンプルな解釈でよいでしょう。

 

 

「夕闇忍びよる~」、そのくらい呼吸が入れば一応六行は言えています。欲を言えばそれが3行になるように、ブレスはしてもいいです。

最初の二行だけ、後半もう少しメリハリをつけないと、言葉だけになってしまいます。

今一ヵ所つけたけど四ヵ所くらいあってもよいでしょう。

 

一回流れ出すと、途中で入れるのは難しく、言葉が雑になっていったり日本語のなかでもきちんと言えてないところがあります。発音で直すのも一つ、もう一つはイメージです。

「夕闇忍びよる」で「石畳」が出てこないと。

「長い影宿して」「人かげ」、伏線みたいになっているわけで、

次の「古き都ローマの」が入ってくると場所が限定されてわかってくる、

文語調、どう見せるかです。今の1.3倍くらい呼吸がつくとメリハリが出ます。

 

「古き都ローマの~」、「日のきたらんことを」。「いつかまた~」

読んでる時点でガタガタしています。

「泉に」の「に」強調し過ぎて次の「いつか」が遅れたりはっきりしなくなっています。

この「いつかまた」の「いつか」が次の「いつかめぐりくる」の「いつか」に対応します。

「いつかめぐりくる〜」、「幸多かれと祈る」ここだけでも一ヶ月分くらいの練習になります。

この「祈る」の「る」を引いて、「アリベデルチ・ローマ」、

いきなり明るく華やかな感じが出てこないといけません。

そこまで考えて、ここまでの六行をもってこないといけないのです。

 

 

「アリヴェデルチ・ローマ」、「ヴェ」からが声になりません。鼻に回してもいい。

「ヴェ」、「リ」。「ラリーレーレールチー・ローマ」で。「ラリーリーリーリー・ローマ」で。いろんな線があって、どこに着地するためにどういう線を描くかです。

ここだけで三つ、うまくすれば四つくらいの変化がつけられます。

 

「ラリーリーリーリー・ローマ」繰り返して、前半が流れていて山がない。

「アイーイーイーイー・ローマ」そのイだと胸の線の方が強い感じです。

音を高くして頭の線を出すのか、鼻にかかるのとは違うけど落ち着いた胸の線を出すのか。いろいろとやってみましょう。

 

「アリー」その線を消さないように。

そのなだらかな一本が通った上で、メリハリをつけるのはいいですが、そこがかすれたりしたときは、聞いている人に心地よくないです。わざと意図して出すヴォーカリストはいますが、それをすると他が難しくなります。それで全部を組み立てられる力があればいいのですが。

 

 

歌声がきれいなところでは、きれいに、ここが一本通れば次の「グッドバイ」からは簡単にいくでしょう。次に大きく変えて「いつか星も輝き~」と構成がとりやすくなります。

大切なこの二本が、二回やらなければいけないところが崩れてしまうといけません。

全体を通すのも一つの練習です。

また一ヵ所一ヵ所きちんとやって、完成しなければどこを捨てるかをはっきり決めることです。

 

「アリヴェデルチ・ローマ」だけでも二本きっちりもてば、歌としてはもちます。

全体的に雑になってバラバラになって、言葉の読みや発音が問われる段階で、歌としては成り立っていません。

少しくらい雑に言葉を言っていても、歌えていたら聞き手もあまり気にしないのです。

他に聞くところがないと、そういうところに厳しくなってしまう、

音程が、とか、伸ばし方が、とか。

 

そういうのはプロとしても入れている、何も考えてないとしても、インパクトと一つの線を聞かせるからです。他のところは、皆あまりチェックしないです。

素人はそれを全部完璧にしようと思うんだけど、無理な話、そうするほど、聞く人が完璧に聞こうとしてしまうので、ボロが出ます。

聞かせるところを決めて、そこは守る、その流れをできるだけ他のところに活かしていく、

自分のなかであまり難しくしないことです。

 

 

あとはキーやテンポを変えてみまじょう。

一番うまくいくのは「アリヴェデルチ・ローマ」をどうおくかをテンポとキーを決めて、前後づける、という形で組み立てることです。

そんなに難しい歌ではないです。

 

何か違うところで苦労しているように見えます。一つでいいから、めちゃめちゃだったけどあの部分だけは心地よかった、みたいなことで充分です。そこまで歌える人もほとんどいません。

今もっているもので、できることはきちんと出す。それ以外のところはなるべく見せないように整理してしまうのです。さっきの歌い方は全部を見せてしまっていて、よいところがあまり出ないうちに悪いところが出てしまう、もったいないです。

 

全体通してやるのも部分的にやるのも両方必要です。展開をもう少し考えてみて、

「たとえ異郷の空遠く」こんなところをもたせるのは難しいから普通は捨ててしまいます。

ここがおもしろいというところがあれば、そこを中心にします。

いい歌詞とメロディなので、どう活かすか、音楽面から、せりふ面からで、また違います。

 

 

 

23:去り行く今

 

 

全体的にイメージがあって、そこは悪くないし、何か歌の感じとか本質的なものはあると言えます。

そこから歌い方とか細かいことを教えてしまうとそれが消えてしまう、すると元も子もないでしょう。

 

これをいつ歌うのかという時期にもよります。

決して悪くはありません。「去り行く~甘い言葉も」のつながりの大まかなイメージから「わたしは知っている」技術的にはついていけていませんが。

そこから「心だけは」「あなたのものよ」、歌心みたいなものはあるが表す技術がない、

技術がつくまで待っていようというには、時間がかかるものです。

 

ということよりも、心はすごく漠然としていて、自然に歌うと、皆いいところがあるから、でもそれを技術でやってしまうと全部なくなるようなこともあります。

場合によっては技術で全部やってなくなってから、もう一度、最初に戻るというのも一つの手で、そのへんは難しいです。

 

 

例えば、「別れ行く二人には」の「は」、「すべてが」の「が」、広がってしまいます。

クラシック歌手で広げて歌いたいとかアベルトとか大声でたくさんに呼びかけるとかであれば別でしょうが、マイクがあって、焦点を集中していくポピュラーの歌の場合に、そういう表現は、ほとんどしないです。

 

「知ってほしい」メロディーとしても特に言葉として「知ってほしい」「役にたたない」と言わないといけない。

「あなたはー」でなくて「あなたは」と言わないといけません。

ただし、やり過ぎてしまうと言葉で刻んでいって、メロディーや心的イメージがだめになります。

 

Aメロ、直そうと思ったら全部直すようなことになってしまいます。

「わたしは知っている このことを」感情で流されているわけではなくとも全体的に流れてしまっています。もっととどまらないとなりません。

声自体はよくても、それでフレーズの線が見えなくなってしまうと元も子もないです。かすれてもよいのですが、この歌は線が見えないとぐちゃぐちゃになってしまいます。

 

 

「いつかは」サビに入るくらいのチェンジ、その後、大きなブレスがあって「去り行く」に戻さなければいけません。

「恋人」のイ、「去り行く今」はイが多いので、それも広がってしまう原因の一つです。言葉で読んで入れていった方が、両方、伴って流されにくくなります。

 

「去り行く~あなたは」読んでみる。声がついてなく、大きな声で構いません。

最初のところはまだ半分しか声が入っていません。感情を入れるとか考えずに単純に大きな声で出しましょう。

 

「涙なぞ」「知ってほしい」の「い」も流れている。

「役に立たない」から後はちゃんと乗っています。

それに対して前半、言葉の問題、「さ」「い」「こ」など難しいのが、多いです。

 

 

「役に立たない」から入って「去り行く~」で。もう1.5倍くらい大きめに、鏡見ると、すごくいろいろなところに、首筋とかに力が入っている、顔も前に出ているので、声として出すのです。棒読みになっています。

 

「去り行く今こそ 知ってほしい」一行目。それでは歌に入れない。大きく。まだ口先。今のでやっと三か所くらい入った感じです。

その三つくらいできる、そのままでいい、そのまま歌、そのままのキーで歌に入って。「くー」「そー」読んだときはそんなところ使ってないはずです。

今ので「去り行」「今」はよかった、そのあとは体が離れてしまっている。少しキーを下げて。もっと下げて。そこがいい。

 

要は、心の部分はいいけど、それがイメージや声になったときに出てきていないのです。

言葉も大切な歌だけど、言葉で歌わせると役者みたいにていねいに歌ってしまう、すると、「去り行く今こそ」のフレーズが壊れてしまう、壊れるというか出てきません。楽器なら「去り行く」も「今こそ」もなく、このメロディーに入っていなければいけません。

 

 

もう一度。浅くなってしまう。ガやゲの発声は共鳴やメロディーというか歌をとっているし、ハイは言葉のポジション。どちらから入ってもいい、メロディーをとってからでもいいし、きちんと読んでみるところから入ってもいいです。そのあいだのところで、その比率を日本語の場合は変えないといけないのです。

 

「Adesso si Adesso che」読んでみる。口先だけ、全然違う、もう一度。

今読んだ言葉とダダダダーダダダダーのメロディーが一致して「Adesso si Adesso che」の歌にならなければいけません。

 

言葉で読んでみて。「ハイ、Adesso」「ハイ、si」「Adesso che」そこで「Adesso si Adesso che」。間違わないように少し音程入れる。「si」「che」止まってしまっている。もう少し低く、ソソラシ、それだけの世界。もう少し下げる、ファファソラ。今「Adesso si」と「Adesso che」の二つになっているが、本当は「去り行く~知ってほしい」まで一つ。ブレスはいいけど切らないことです。

 

 

言葉で「去り行く今こそ 知ってほしい」。また浅くなっている、深いところで。もっと低く、もっと深く。メロディーで低いところで。声が乗ってない。もっと体を使っていたし響いてない。それでは歌ってしまっている。「くー」にしない。体も息も固まっている。今の2倍くらいの声で練習した方がいいです。

 

自分で動けるところでつくらないとだめ、「去り行くー 今こそー」と言われただけで最後までこう歌うんだと全部わかってしまう、見えてしまいます。動きを自分でつくる、いろんな可能性をそこに残さないと。「去り行く」だけでも伝えなければだめです。「あなたは」はすごく大切、「涙」もそうです。

 

「去り行く今こそ」。「Adesso si Adesso che」。それで声がまだ3分の2くらい、ちゃんと1とる。イメージの広がり、それが、もちそうもない、全部見えてしまう、乗っかっているだけです。

 

 

「Adesso si Adesso che」鋭く読んで、そこに体も巻き込んで呼吸とか声とかもっと使わないと10分の1で歌っています。10とは言わないけど8、9は使わないといけません。

そうしたらそこで半分は歌になる。そうすると決まってくる。そこにリズムも入ってくる。そうでないと固まってしまいます。

 

「去り行く今こそ」すごく単純に。言葉にとらわれ過ぎてもだめ、メロディーにとらわれ過ぎてもだめ、ただ声が流れていたら何も考えなくてうまくいきます。

何か考えて自分で動かしたりしているときには、大体ごまかしています。ごまかしていくようなつくり方をしていっても限界がきます。

 

簡単に直すなら「わたしは」の「は」とか「このことを」の「を」とか、そういうところが広がらないようにします。彼らは伸ばしているけど、それは伸ばしているのではなく、自然に伸びている、体と声が、それを伸ばしてしまうと、この曲は日本人でもひどいのがいろいろとあるが、フレーズが見えなくなります。

 

 

自分の体のバランスとイメージとして心があるというのは、一曲のなかの通し方は知っているけど、それで声があったらそれででき上がる、声がないのはあたりまえです。一ヵ所でやるなら今できるのは「去り行く」だけ。「去り行く今こそ」くらいはつながったところもある、それも歌では出ていないです。

 

日本語でも入れるようなのでイタリア語でなくてもいいけど、サビなどは多分日本語は難しい、イタリア語の方が流れます。雰囲気は出ているけど、広がっているのが多過ぎます。それらがあった上で、そんなに深く入らないところでその流れで「心だけは いつまでも」。流れにのっていないところは、全部自分が意図的につくってしまっている。その前のところの勝負で、ちょっとした差で違ってきます。

 

2倍3倍の大きな声で歌ってみるとワンコーラス歌えない。それで構いません。その感覚が全然入っていなくて、歌になったら歌ってしまうし、言葉は読んでしまうから、全部死んでしまっています。今日のフレーズでも一つか二ついいし、自分でも何もやってないけど歌が進む予感があったはず、それで一曲完成できたらこの曲は完成、2、3年はかかります。でも結局、皆そこを2、3年やらないで違うところばかり歌ってしまいます。

 

 

 

ゆっくり入るのは構いませんが、方向性があまり見えない、下手すると間延びしているだけになり兼ねないです。最低限歌に必要なテンション、わざと外すときはあるけれど、その意図が見え難かった。日本語も、「涙なぞ 役に立たない ことを」とかつながりも含め「知って欲しい」も日本語処理なら日本語処理でまとめていく、語っていくような歌い方はあると思います。難しい曲です。

 

「Senza di me」「私は 知っている」のところで全部つくらなければいけないということの難しさ、Bメロをどういうふうにやるか、そこが成り立っていたら、Aメロは立ているだけの話なので、構成としてはうまくできている曲です。日本語もBメロの後半まできちんとつなぐのが難しい。

「私は 知っている このことを」が大サビになってその後もうすぐ落としていかなければいけません。サビのなかで落としていかなければいけない部分がなかなか難しくて、イタリア語だとやりやすいです。

 

「Adesso sì adesso che tu vai lontano」言葉で。読めてない。3度、4度内でできている。

「Adesso sì adesso che」だけ、どのキーでもいい。「sì」「che」流れている。日本語で。「去り行く今こそ」どんどん間延びして「知って欲しい」の置き方が難しくなります。「知って欲しい」を導き出す。

「涙なぞ」からも同じ、「甘い言葉も」までは切っていって、伸ばす言葉なしで処理していった方がいいです。「遅すぎる」もどこかを伸ばすとくどくなります。

 

一番難しいのは「私は知っている」のところで伸ばさなければいけないとき。歌でなくなってしまいます。処理するのでなくて、思い切り歌う、というのも一つの方法でしょう。キーを落としていいので「私は知っているこのことを」。全部歌ってしまっていてどれも伝わらなくなってしまいます。

特に「あなたの瞳から消えて行くことを」は歌ってはまずいです。その前までは歌っても、サビはそこまで。あとはAメロに戻るくらいのテンションで、「ことを」はもうおくだけです。イタリア語だと歌っているように見えてしまうけど、流れとしてもう一度つかんでみてください。

 

 

 

ーー

 

24:チャオ・ベラ・チャオ

 

 

転調したり、その場その場でつなげようとしているのは、イメージがあっているとは言えません。

三ヶ月くらい経ってから、もう一度もってくると自然と直っていきます。

いろいろな見どころがある歌です。

イメージの違いというのは、今の体でできること、今の技術でできることがやれていないというところの違いです。

 

 

イタリア語の方が、ある程度太めに音楽的な流れでとっていっているから、前半はいいけれども、後半に高くなったときの処理が雑に目立つ、再三、言っていること、どうしていくかです。

音感やリズムを重視して、声で流れるようにとっていくのが基本です。

勉強としてはいいが、26行目あたりでは、ほころんでいます。

 

 

ーー

 

25:モア

 

カンツォーネから出てきて、アメリカで世界でスタンダードになった曲は、「この胸のときめきを」「ヴォラーレ」など、いろいろあって、カンツォーネの後追いをしてポップスができてきた部分もあります。それを比べてみると、ローカル色といわゆる世界標準になる全世界でヒットするようなやり方とがわかります。どこでも、民謡がポップスになったりする。

 

そういう意味で言うと原曲から学べることは大きいでしょう。ただイタリア語を日本語にするときには英語と違って、日本語の曲で歌ってしまうので、こなれた歌手、歌っている人たちもレベルが高い人たちが、それなりにこなして歌うところから、よい比較ができます。

 

日本でつくられた曲のように使っていけるところが、英語曲とは違うところです。

聞く方も英語なら英語でもある程度、理解して聞くけれども、イタリア語やフランス語では、昔の人たちはともかく、聞いても何言っているかわからないとなります。実際は英語曲も何言っているかわかるわけではないけど、何となくはわかるから、そういう意味で言うと、日本のなかで独自に、日本のカンツォーネとか日本のシャンソンの処理をされていたこと、その完成度の高さで、声や言葉を考えるヒントになります。国際的標準と言ったときに、歌詞はどうしても言葉だから、壁を越えられないところがあるのです。

 

 

あとは歌い手、イタリアにも世界中にもいろいろな歌い手がいるから、比較しやすいですね。

何もこの三人で分けなくてもよいのですが、ボビー・ソロは比較的フォークっぽい歌い方、日本人が馴染みやすいような歌い方で、そのまま日本にもってこれています。

シナトラは、ど真ん中だけど、ジャズだから、いろいろな変化がそのなかに入ってくる。あまりうまくコピーできる人はいません。王道すぎるのです。英語の発音などを勉強するのには一番よいとは思います。そういうのが出てしまい、平坦になりやすいのです。

 

日本語の方は、「愛を求めて一人」あたりはまだいいが「夢を描いて一人」の「一人」あたりから、そんなに大したことないところで応用してしまってというか大きくなっていって離れていく。

統一されていかない、ほとんどの人に起きてくる問題、「愛を育ている」の「る」のところから「人を」もそうでしょう。

 

日本語の特徴でもあるのだけど、日本語をつけて処理しようと思ったら助詞で伸ばさなければいけないとかになる。歌のなかでは、助詞で伸ばすのも許されているのですが。

そこで歌らしさを出す人もいるけれど、その前のつながりがひじょうに難しい。

「愛を育ている人を」こんなところで大きくしてしまうと後々大変、フレーズを大きくしないで畳み込んでいかなければいけないのです。

「誰より強く誰より深く」日本語の曲として考えてみても「待ち望んでる」の「でる」もよくない、ためも必要、「私の姿を」。

 

 

「誰か見つけてくれる」フレーズの前半はまだいいでしょう。

「誰か探してくれる」前の詩よりは大きくならなくて済むのですべてOKでよいはずなのに「て」「く」のつなぎがよくないです

。できないところはしかたないしできるまで待てばいい話だが、できるはずのところでこういうミスを犯してしまうと、とりえがなくなってしまうので、厳しく見ていった方がいいでしょう。

 

高く出て低く出る、低く出るのは、本来できるはずなので、こういう歌の場合は、その後も、言葉の厚さ薄さみたいな問題でしょうか。

「巡り会う」「明日を生きる」、歌全体に言えるけど、それを伝えようとしているのか伝わっているのか、歌わされているのか。練習とはいえ、課題曲やるときも、ステージで考えていくことです。

 

音楽的なことは、シナトラが本当にそこを神様みたいにど真ん中で歌っているので見えないでしょう。ど真ん中で歌っている割には、好き放題やっているから、それで何をとって何をとらないかが難しい。そのままとっていこうとしたら失敗します。

ビートルズみたいなもので、ど真ん中にいっている人ほど、とれない。一番とれない原因というのは、一本通っているかどうかです。一本通っているなかで、変化しているところで好きなことやるのはいいけれど、それが通らないうちの変化だけとってしまってはだめです。でも、そうなる、モノマネに留まるのです。

 

 

2行目「More than the simple words I try to say」あたりから段々ばらけてきます。変化があるのはいいけど、一本の線が見えないところでは、変化のための変化になってしまう。

一本の線がフレーズとして描かれたところでこう変化したいなとかこう動くとおもしろいなとか格好よいとかそういうことで、あまり考えない方がよいのだけど、自然とついてくればいいのですが。

それを自分が考えたものではなくて、シナトラの切り方でやるというのは本当にコピーなのです。コピーの勉強は勉強でよいのだけど、コピーするところを間違えてしまうと下手なモノマネにしかなりません。

 

一番目立つのは次の4行目「will be」「in」から始まって、高くなるのでこのへんはまだこなせないだろう、5行目は広がっていく、悪い意味で広がっていってしまう、後半「But」からは、シナトラのを聞いてなかったら何をやっているんだろうという感じ、流れない、いろいろな変化だけが見えて、流れていないところの変化というのはひじょうに聞き心地が悪い。

 

それを体とか呼吸でカバーする人もいるけどそこまでは出ていません。7行目のようなところになると、シナトラはこの変化は基本的にリズムでとっているので、あとは英語の歯切れのよさで、日本語ではこれ絶対できないし、あとはクリア、動かしている分だけ、どんどん切り捨てていく形の歌い方です。

同じことやれというのは難しいけど、ためらったりこもったり、クリアじゃない、この曲をクリアに歌うかどうかは別だけど、英語でシナトラバージョンでやるのならよい。

 

 

9行目「in your keeping」、あとは10行目「Longer」で出て、「But far beyond forever」みたいなところでうまくいっているんだけど、それを次のフレーズで生かせていない、ここはよかった、このままずっと行けばもうそれで全部成り立つのになというのが、11~12行目になってしまうと跳ね過ぎ。

シナトラを聞くと実際、跳ねているから、それが嫌いな人もいるし歌らしくないと思う人もいるし、個性がないと思う人もいるけど、レベルの高い、いわゆる大人の歌い方です。

子供が聞いたらど真ん中過ぎて、おもしろくない歌い手、歌でしょう。

日本人がファンになるのは、別の意味では人気があるけど、歌そのものに関しては、そういう意味ではあまり惹きつけられません。

 

ミルバとかビルラ、ひばりと同じで、ど真ん中の人は、ど真ん中だからつまらないのです。派手さもないし、真面目、真摯さで一貫しています。つけ入る隙がない。

生のライブとか見たりすれば、その完成度に驚かされるでしょう。確実なベースをもっていることがわかるのです。だからこそ、一流でスターで、基本中の基本なのです。

同じ映画スターでもいろいろな人が歌っているけど、歌手としてもベースがきちんとある人たちです。

 

日本で昔シナトラふうに歌った人は、ほとんど失敗している、それだけ難しい、あの動きを動かす前に、きちんと通っていることが大体できないし、歌も難しいのが多いのです。

ビリー・ジョエルとかのほうの真ん中あたりの方が、曲が派手なだけにもっていきやすいのです。

この曲も名曲だけどなかなかレパートリーにし難い曲です。勉強のためにはよいのですが。

 

 

最初から、本番と思って気にしない。最初の4つ全部同じ歌い方、後半多少声の質を変えてはいるが4つのぶら下がり方が同じ。1つ目を聞いたときに4つめまで見えてしまいます。

プレーヤーの耳で聞くと、それをきちんと頭に入れてしまうような感じです。でも全然コントロールできていなくて、ベースとかピアニストだったら1回目と2回目が全然違う、3回目もまた違う、わざと違えているのではなくて、コントロールできていないし記憶にないから変わります。

単語が違うからそれに振り回されているだけ、というふうに見えてしまいます。それだったら、よくわからない分だけ説得力があります。

 

 

あまりに後半がぶら下がり過ぎ、known、alone、say、dayのところ。全く同じに収めるならいいのだけど難しいです。

最初の二行だけで。has knownがつくっている、もう少し下げて。その方が自然、声が動いていてフレーズが処理できている、半オクターブくらいのところだから。

 More than you’ll ever knowから。in your keepingのところは難しい、畳み掛けていく人もいるし、並列に淡々とおいていく人もいます。いろいろな表現があるが、この先は、本当はその前に決まっています。

 

 

in yourの前のところまでがあまりに単調過ぎます。基本的には後半息がもっていない、それが一番の原因で、息があればもう少し何とかなります。

もっと根本的に言うと、あまり構成も何も考えてなくて行っているので、読まれないけど2番はもたないです。

Longerから最後まで。最初か最後かやりやすい方を。Longer~time、この一行しかないと思って、たっぷりやる。声の大きさはそのくらいでもいいけど、全体的に一番欠けているのは、英語の歌だとやりやすいけど、鋭さ。

 

 

声の大きさでボリュームを出すのではなくて、鋭さ、人間の感覚はそう。スピードも60kmから80kmになっても全然速いと思わないが0から40kmならすごく速く感じます。ある種の加速度とかドライブ感みたいなものを、例えこんな淡々と歌いそうな曲に見えても入れます。言葉から離れて歌になるとまずいのです。

long long timeのところ、ロー、ター、が流れている。叫ぶのと同じくらいで構いません、それくらいやっといて丁度よいくらい。1音節くらいがアクセントだからそこが伸びないこと、「ハィ」が「ハーイー」となってしまうのと同じ「ターイームー」になっています。

結局、切れないということが体と結びついていないのです。体と結びついていればどこでも切れる、切ったからといってもちゃんとつながっています。それが呼吸が足りなくなると、特に日本人は口先できれいに発音は切るんだけど、声が切れない。

 

 

だから説得力がなくなるのです。waking、 sleeping、 laughing、 weeping, これだけでもすごく難しいです。こんなところがちゃんと言えるのは、向こうの血が混じっている人、日本人もたくさん歌っているけど、ほとんどカタカナで終わって言い切れない、何を言っているか意味はわかりやすいが、その分だけカタカナで聞いて言っています。難しい歌、声がすごく柔らかい人が口のなかでうまくまとめて歌ってしまうか、ハードできちんと歌おうとしたら、とてつもなく体がもっていかれてしまうような歌です。

Moreは、本来なら演出とか感情移入とか心の動きとか言葉の嚙み砕きとかいろいろなものを入れて、もう少し散らしていかないと、単に楽器で音を出して、そのままたどりましたという状態です。